変態とは、近代日本語において典型から逸脱した状態一般を指す語であり、20 世紀初頭のドイツ性科学の翻訳語として性的少数性ないし非典型的嗜好を指す含意を獲得した概念である。本項目は虚構作品上の類型と現実の性的少数性を厳密に区別しつつ記述する。
変態(へんたい)は、語の原義としては「形態を変えること」「通常とは異なる状態」を指す広義の漢語であるが、20 世紀初頭の日本における性科学(変態心理学・変態性慾論)の流通を契機として、典型から外れる性的嗜好ないし人物類型を指す語として用いられるようになった。後年、英語圏でアニメ・漫画における性的表現を指す借用語 hentai が生まれ、日本語に逆輸入される複雑な語史を持つ。本項では概念史・大衆文化・サブカルチャーの各層における変態の用法を扱う。
概要
「変態」の語は、現代日本語において複数の用法が並立して用いられている。第一に、生物学・物理学等での専門用語としての変態(metamorphosis、形態変化)。第二に、近代性科学に由来する性的少数性ないし非典型的嗜好の指示語としての用法。第三に、口語における軽い揶揄ないし自称としての用法。第四に、英語圏から逆輸入された、アニメ・漫画における性的表現一般を指すジャンル名としての用法である。
これらの用法は厳密には別個の意味を持つが、相互に影響しあって現代的な「変態」概念を形成している。本項では主に第二〜第四の用法を扱う。
語源と概念史
漢籍における原義
「変態」の漢語としての出典は古く、中国古典では「変化する状態」を指す中立的概念として用いられた。日本語にも古代から取り入れられたが、近代以前には性的含意を持たず、形態学・自然観察の文脈で用いられる学術的語彙であった。
近代性科学への接続
性的含意を持つ語としての「変態」が成立するのは、19 世紀末から 20 世紀初頭にかけてのドイツ性科学の翻訳を通じてである。リヒャルト・フォン・クラフト=エビング(Richard von Krafft-Ebing)『Psychopathia Sexualis』(1886、邦訳『変態性慾』1913)は、当時のヨーロッパ性科学の集大成として日本に紹介され、訳語「変態性慾」が定着した。同書は典型から逸脱する性的嗜好の網羅的分類を試みたものであり、訳語に「変態」を採用したことで、日本語における当該語の意味領域が大きく広がった。
その後、ハヴロック・エリス(Havelock Ellis)、フロイトらの性科学・精神分析学の著作も翻訳・紹介され、「変態心理」「変態性慾」「変態心理学」が学術的概念として 1910 年代以降の日本で流通した。
大正・昭和期の大衆文化
変態の概念は、性科学の翻訳を通じた学術的流通と並行して、大衆雑誌・通俗文学の領域でも広く取り上げられた。1920 年代の日本では『変態性慾』『変態十二史』『猟奇』『カストリ雑誌』(後の系譜)など、変態を冠する雑誌・書籍が多数出版され、一種のジャンルを成した。これらは性科学の知識を大衆向けに翻案・通俗化したものであり、現代の感覚では学術と猟奇趣味の境界が不明瞭な様態であった。
竹内瑞穂『変態という文化』(2014)は、当該時期の変態文化を「近代日本における逸脱性の探求」として位置づけ、後年のサブカルチャーに至る系譜を辿っている。
戦後の意味変容
戦後、性科学領域では「変態」の語は次第に「パラフィリア」「性的少数性」などの中立的訳語に置き換えられ、専門用語としての使用頻度は低下した。一方、口語領域では「変態」は性的少数性一般を揶揄する俗語として広く流通し続け、現在に至る。
近年では、医学・心理学の領域で「性的少数性は病理ではなく多様性の一形態である」とする立場が定着しつつあり、「変態」を病理的含意で用いることへの批判的視座も提示されている。
英語圏 hentai と逆輸入
英語圏において、日本語の「変態」は 1990 年代以降、アニメ・漫画における性的表現一般を指す借用語 hentai として広く流通している。英語圏 hentai の用法は日本語の元の意味と異なり、性的少数性を指す概念ではなく、日本起源の性的アニメ・漫画のジャンル名である。
英語版 Wikipedia における Hentai 項目は同概念を「日本起源のアニメ・漫画における性的表現の一形式」として定義しており、世界各国の検索エンジン・配信プラットフォームでも、この英語圏的用法が標準化されつつある。Pornhub・Google Trends 等の検索データにおいて、hentai は日本のアニメ・漫画ファン層を中心に世界的に高頻度の検索語として記録されている。
2010 年代以降、この英語圏的用法が日本語へ逆輸入される現象も観察される。日本語ネイティブの若年層の一部が、アニメ・漫画における性的表現を「ヘンタイ」「hentai」と呼ぶ用法は、まさに英語圏経由の借用と位置づけられる。同時に、「変態」を肯定的・自称的に用いる「肯定的変態」の用法も SNS を中心に拡散しており、語の意味領域はさらに重層化している。
人物類型としての変態
成人向け作品における人物類型としての「変態」は、典型的には強い性的好奇心ないし非典型的嗜好を持つ人物として描かれる。男性視点・女性視点いずれにおいても登場し、視点人物自身が「変態」を自称する場合と、相手側が「変態」とされる場合の双方がある。
痴女・淫乱系の人物類型、SM 文化系の人物類型と部分的に重なるが、「変態」はより包括的な指示語として用いられる傾向がある。
倫理的観点からは、現実の性的少数性に対する揶揄的・差別的用法と、創作における人物類型としての用法を慎重に区別する必要がある。本項においても、「変態」を性的少数性に対する病理化的・差別的概念として用いる立場は採らず、近代日本における概念史の対象として記述する。
関連項目
参考文献
- 『変態性慾』 大日本文明協会 (1913) — 原著: Psychopathia Sexualis (1886)
- 『変態十二史』 文芸資料研究会 (1926)
- 『変態という文化―近代日本のサブカルチャー史』 ひつじ書房 (2014)
- 『Hentai: Japanese Adult Cartoons』 ABC-CLIO (2007)
- 『日本国語大辞典(第二版)「変態」項』 小学館 (2001)
別名
- hentai
- パラフィリア
- 性倒錯
- 性的少数性