井原西鶴
井原西鶴(いはら さいかく、英: Ihara Saikaku、寛永 19 年〈1642 年〉 – 元禄 6 年 8 月 10 日〈1693 年 9 月 9 日〉)とは、江戸時代前期に活動した俳諧師・浮世草子作者である。大坂町人の出自から談林派俳諧の旗手として名を成し、後年は散文に転じて『好色一代男』(天和 2 年、1682 年)以下の一連の作品群を世に問うた。元禄期の遊里・町人社会・武家社会・男色世界を、簡勁にして観察力に富む筆致で活写し、近世日本における性文学の枠組みを実質的に確立した人物として、文学史・文化史の双方で高く評価されている。
概要
井原西鶴は、近松門左衛門・松尾芭蕉と並んで「元禄の三大文豪」と称されることが多く、ことに散文文学の領域においては、近世日本における町人文学の先駆者として位置づけられる。その作品群は俳諧で培われた縮約的修辞を散文に転用したもので、登場人物の所作・服飾・言語・経済感覚を簡潔な語句で点描する独自の文体を有する。
主題の多くは、当時の都市住民が現実に生きていた風俗の領域に取材されている。すなわち、遊郭における遊女・客・茶屋・置屋の関係、町家の女房と若衆との情交、武家社会の男色、そして商家の経済倫理である。これらは単に好奇心のための題材ではなく、近世前期都市文化の構成原理を観察する素材として、西鶴の手によって組織された。
西鶴は近代以降、坪内逍遙・幸田露伴・尾崎紅葉らの再評価を経て、明治末期から大正期にかけて「日本のボッカチオ」「日本のラブレー」と称されるようになった。要出典 第二次世界大戦後は、暉峻康隆による『西鶴 ―評伝と研究』(1948)を画期として、実証的な書誌研究と作品分析が進展し、現在に至るまで日本近世文学研究の主要対象の一つであり続けている。
生涯
出生と前半生
井原西鶴の生年は寛永 19 年(1642 年)とするのが現在の通説である。出生地は大坂とされるが、家系・幼名・両親の名等の確実な資料は乏しく、二次資料における記述の多くは後代の伝聞に基づく。本姓は平山、通称は平山藤五と伝えられるが、これらも確証ある一次資料の裏付けには欠ける部分がある要出典。
青年期に俳諧を志し、当初は貞門派の影響下にあったが、やがて談林派の祖・西山宗因の門に学んだ。若くして頭角を現し、寛文 13 年(1673 年)には大坂生玉本覚寺において万句独吟興行を主催、延宝 5 年(1677 年)には一日 1600 句の独吟を行った旨が記録されている。延宝 8 年(1680 年)には一昼夜で 4000 句を独吟し、貞享元年(1684 年)には住吉社頭で一昼夜 23500 句の大矢数興行を行ったと伝えられる。この大規模独吟興行から「二万翁」の号が生じた。
散文への転換
天和 2 年(1682 年)、西鶴は『好色一代男』を上梓し、散文文学者としての活動を開始した。これ以降、貞享期から元禄期にかけての約 10 年間に集中的に浮世草子を発表し、「好色物」「武家物」「町人物」「雑話物」と分類される一連の作品群を世に送り出した。
俳諧から散文への転換について、暉峻康隆は、談林俳諧の自由奔放な修辞が散文表現に親和したこと、当時の出版文化と読者層の拡大、ならびに西鶴自身の生活環境の変化が複合的に作用したと整理している(『西鶴 ―評伝と研究』1948)。中村幸彦は、これを単なるジャンル横断ではなく、俳諧の縮約原理を一段大きな散文構造へ展開する試みとして評価した(『西鶴と元禄文芸』所収論文)。
晩年と没年
元禄 6 年 8 月 10 日(1693 年 9 月 9 日)、西鶴は大坂で没した。享年 52。墓所は大坂誓願寺(現・大阪市中央区上本町西)に置かれ、自筆と伝えられる「浮世の月見過しにけり末二年」の辞世句が伝存する。死後、門人・北条団水によって遺稿集『西鶴置土産』『西鶴織留』『西鶴名残の友』『万の文反古』が編纂・刊行された。
作品
西鶴の散文作品は、その主題により「好色物」「武家物」「町人物」「雑話物」に大別されるのが通例である。本項では性文化史上の意義から、好色物を中心に述べる。
好色物
『好色一代男』(天和 2 年、1682 年)
西鶴最初の浮世草子であり、近世散文文学の出発点として記念碑的位置を占める。主人公・世之介の 7 歳から 60 歳に至る一代の女色・男色遍歴を、和暦に対応した 54 章で構成する。源氏物語の構成を模した 54 帖という章立ては、当時の知識人読者層に対する古典文学の引用的応答として機能した。世之介の遍歴には京都・大坂・江戸の各遊郭が登場し、京の島原、大坂の新町、江戸の吉原を中心とする近世前期遊郭文化の見取り図がそこに示されている。
『好色五人女』(貞享 3 年、1686 年)
実在の事件に取材した 5 人の町家女性の恋愛・情死譚を独立した中編 5 巻に構成する。お夏清十郎(姫路の事件)、樽屋おせん、おさん茂兵衛、八百屋お七(江戸の放火事件)、おまん源五兵衛の各話から成り、いずれも当時の町人層に流布した実話を基盤に文学的再構成を施したものである。家・婚姻・身分の制度的拘束のもとで生起する女性の主体的な性愛を、必ずしも全面的に肯定せず、しかし冷淡に断罪することもなく描いた点に、西鶴の倫理感覚が現れている。
『好色一代女』(貞享 3 年、1686 年)
老女が嵯峨野の庵で青年二人に向けて語る一代の述懐という枠物語の形式をとる。語り手の女性は身分ある武家・公家から町家・遊里・地方の宿場へと階段的に零落し、最後は街角の老女として生涯を閉じる。一代男の華麗な遍歴と対照的に、女性身体の経済化と摩耗を冷静に記述する構造を持ち、近代以降の研究では西鶴文学のうち最も社会批評性の高い作品として評価される(暉峻康隆 1948、檀上正孝 1985)。
『男色大鑑』(貞享 4 年、1687 年)
武家の若衆と念者の関係(衆道)を扱った前半 4 巻と、歌舞伎の陰間世界を扱った後半 4 巻、計 8 巻 40 章から成る男色文学の集成である。武家社会における主従的かつ儀礼的な少年愛と、町人社会における商業化された少年愛とを並行的に描き、近世日本の男色文化の構造を文学的に総覧する位置にある。Paul Gordon Schalow による英訳『The Great Mirror of Male Love』(1990)は、序論において当該作品を世界の同性愛文学史上の重要文献として位置づけている。
その他の好色物
『好色盛衰記』『諸艶大鑑』(別名『好色二代男』)等を含む。これらを併せて「好色物」と総称し、西鶴文学の中核を成す。
町人物
『日本永代蔵』(元禄 1 年、1688 年)、『世間胸算用』(元禄 5 年、1692 年)を代表とする。前者は商家の致富譚 30 篇、後者は大晦日の取り立てを背景とした町人生活の点描 20 篇を集めたもので、近世前期上方町人の経済倫理を活写する。後年の小田原町人・三井家の経営思想や、近代に至る商人道の文学的祖型として、経済史・倫理史の領域からも参照されてきた。
武家物
『武道伝来記』(貞享 4 年、1687 年)、『武家義理物語』(元禄 1 年、1688 年)を代表とする。武士社会における忠義・敵討・義理を題材とするが、好色物・町人物に比して文学史的注目度はやや低い。
雑話物
『西鶴諸国ばなし』(貞享 2 年、1685 年)、『本朝二十不孝』(貞享 3 年、1686 年)等を含み、諸国の奇聞・怪談・説話を収集再構成する。
文学史的位置
浮世草子の創始者として
「浮世草子」という呼称は、後代の文学史記述において西鶴以降の散文作品群を一括して指すために確立された分類概念である。西鶴自身の作品が当時どのように呼ばれていたかについては議論があるが、近世前期の仮名草子と区別される新しい散文ジャンルの出発点として、『好色一代男』を起点に置く理解は、学界において広範な合意を得ている(暉峻康隆 1948、中村幸彦 1975)。
性表現の文学的領域化
西鶴の好色物が性文化史上に占める意義の核心は、それまで春画・絵入本・口承等の領域に分散していた性的主題を、相対的に長大な散文文学の主題として組織化した点にある。すなわち、性愛は単一の挿話や視覚的快楽の対象としてではなく、主人公の一代記、町家女性の生涯、武家少年と念者の関係性、といった時間的構造を持つ物語として叙述可能であることを、西鶴は実証した。
この延長として、近世後期の洒落本、人情本、滑稽本に至る散文文学の系譜が成立し、近代日本文学における恋愛小説・情話・私小説の遠源を形成する一系統となった。
同時代と後世における評価
西鶴の没後、浮世草子は八文字屋本系列の作家群(江島其磧ら)によって継承されたが、模倣の累積と読者層の変化により次第に通俗化した。明治期に入り、坪内逍遙『小説神髄』(1885-1886)が西鶴を写実主義の先駆として再評価したのを契機に、幸田露伴・尾崎紅葉ら硯友社系作家による校注・翻刻が進み、近代における西鶴復興が始まった。
第二次世界大戦後は、暉峻康隆・野間光辰・浅野晃らの実証的研究によって書誌・本文校訂が進み、現在では小学館『新編日本古典文学全集』(1996-2000)等の校注本によって信頼性ある本文が読者に提供されている。
文化的言及
国際的紹介
英語圏における西鶴紹介は、Howard Hibbett『The Floating World in Japanese Fiction』(1959)を画期とし、Kengi Hamada による『好色一代男』英訳(1964)、Paul Gordon Schalow による『男色大鑑』英訳(1990)等によって基盤が築かれた。これらの翻訳・研究を通じて、西鶴は近世日本文学を代表する作家の一人として、海外日本学の中で揺るぎない地位を占めるに至っている。
映像・舞台への翻案
『好色一代女』は溝口健二監督『西鶴一代女』(1952)として翻案され、ヴェネツィア国際映画祭国際賞を受賞した。同作は西鶴文学の社会批評性を抽出し、近世女性の階層的零落を映像的に再構成した翻案として、映画史的にも記念される。『好色五人女』のおさん茂兵衛は同じく溝口監督『近松物語』(1954、原作は近松門左衛門『大経師昔暦』)と隣接的な題材として、上方の家庭悲劇の系譜を共有する。
近代以降の作家への影響
谷崎潤一郎・芥川龍之介・川端康成・三島由紀夫等、近代以降の日本作家は、いずれも何らかの形で西鶴を参照している。特に、性愛と経済、性愛と階層、性愛と老いといった主題は、西鶴の好色物が確立した記述様式を経由して、近代日本文学に継承された。
注
本項は故人を扱うが、その作品が現在も学術研究と文学享受の対象であり続けていることに鑑み、敬意を保ちつつ事実に基づく記述に徹するものとする。生没年・作品成立年等の基本事項は、新編日本古典文学全集および中村幸彦・暉峻康隆らの定説に依拠しており、伝記的細部について確証を欠く事項には注記を附した。
関連項目
参考文献
主要な参考文献は frontmatter の references を参照。
参考文献
- 『西鶴と元禄文芸』 中央公論社 (1975) — 中村幸彦著述集所収。西鶴研究の基礎文献
- 『西鶴 ―評伝と研究』 中央公論社 (1948) — 戦後西鶴学の出発点。以降長く参照される評伝
- 『西鶴 ―浮世草子の世界』 岩波書店 (1973)
- 『井原西鶴集』 小学館 (1996-2000) — 新編日本古典文学全集 66-68
- 『西鶴の文学』 笠間書院 (1985) — 好色物の構造分析を中心とする論集
- 『The Floating World in Japanese Fiction』 Oxford University Press (1959) — 西鶴を中心とする浮世草子の英語圏向け概説。古典的紹介書
- 『The Life of an Amorous Man』 Tuttle (1964) — 『好色一代男』英訳
- 『The Great Mirror of Male Love』 Stanford University Press (1990) — 『男色大鑑』英訳。詳細な序論を附す
別名
- Ihara Saikaku
- 井原西鶴
- 鶴永
- 二万翁