ゲイ
新宿二丁目の路地、深夜近く、ネオンの間口の狭いバーから笑い声が漏れる。客は常連と新顔、観光客と地元、初老の男と若手の男が同じカウンターに肘をつく。20 世紀後半に日本のゲイ・コミュニティが固有の地理として獲得した街の風景である。古代の若衆、近世の陰間、戦前の「変態性慾」を経て、戦後の「ホモ」呼称、1990 年代以降の「ゲイ」呼称定着、2010 年代以降の同性パートナーシップ制度の広がりと、男性同性愛をめぐる呼称・社会的位置は、近代日本史の中で複数回の転換を経てきた。
ゲイ(gay、男性同性愛者)とは、性的・恋愛的指向の対象が同性(男性)である男性を指す語であり、英語起源の借用語として 20 世紀後半の日本で定着した。本項では語源、英語圏での意味変遷、日本における呼称の転換史(若衆・陰間 → ホモ → ゲイ)、戦後の同性愛者運動、新宿二丁目を拠点とする現代ゲイ・コミュニティ、LGBTQ 運動史における位置づけを扱う。
概要と用語の問題
「ゲイ」は、男性に性的・恋愛的指向を持つ男性を指す中立的・正式な語である。略称としては英語圏では存在しないが、日本では戦後に「ホモ」が広く流通した。当事者団体・学術領域・近年のメディア表現においては、「ホモ」が差別語として機能する側面が指摘されており、正式名称「ゲイ」の使用が推奨されている。
「ゲイ」と「レズビアン」は、性別・性指向の対象において対称的な関係に立つ。両者を含む包括的概念として「LGBTQ」が用いられ、本項においてもこの広い枠組の中の一カテゴリとしてゲイを位置づける。
異性愛者を指す日本語の俗称「ノンケ」は、もともと業界用語(水商売・ゲイ業界)から流通した語で、ゲイ・コミュニティの内部で異性愛者を指す対概念として用いられる。
語源
英語の gay は、古フランス語 gai(陽気な、楽しい)に由来する語で、中世以来「陽気な」「華やかな」「派手な」の意を持っていた。19 世紀後半から 20 世紀前半にかけて、英語の隠語的用法として「性的に放縦な」「売春に関わる」の意が加わり、20 世紀半ば以降、特に米国の同性愛者コミュニティ内部で「男性同性愛者」を指す自己呼称として定着した。
1969 年のストーンウォール暴動(米国ニューヨーク市マンハッタンの「ストーンウォール・イン」での警察介入に対する同性愛者・トランスジェンダー当事者の抵抗)以後、「Gay Liberation Front」「Gay Pride」等のスローガンを通じて、英語圏で gay が自己呼称として広く定着した。
日本語への導入は、1970 年代以降の英語圏ゲイ・カルチャー(映画・音楽・出版)の流入を通じて行われた。当初は学術領域・サブカル領域で限定的に使用されていたが、1990 年代以降、当事者団体・メディアにおいて「ホモ」に代わる中立的呼称として広く採用されるようになった。
歴史
前近代日本における男性同性愛
前近代日本社会における男性同性愛の歴史は、女性同性愛に比して史料が豊富である。古代には『日本書紀』『古事記』に同性愛的関係を示唆する記述が散見され、平安期には貴族・僧侶間の男色関係が和歌・日記文学に頻出する。藤原頼長『台記』(12 世紀)は、藤原氏内部の男色関係を率直に記録した代表的史料として知られる。
中世(鎌倉・室町期)以降、武家社会と禅宗寺院を中心として、男色文化が制度化された。「衆道(しゅどう)」「若衆道(わかしゅどう)」と呼ばれた成人男子と少年(若衆)との関係は、武家の主従関係・師弟関係と結びついて様式化され、近世(江戸期)に至るまで武家文化の一翼を成した。井原西鶴『男色大鏡』(1687)等の文学作品は、近世武家・町人社会における男色文化を体系的に記録している。
近世においては、歌舞伎の若手男性役者を「陰間」と呼び、商業的男色の対象として供給する業態が確立した。江戸の芳町・湯島・芝、京都の宮川町等に陰間茶屋が集積し、武士・町人・僧侶を顧客として営業した。陰間茶屋は遊女屋(妓楼)と同様の経済構造を持ち、近世日本の性風俗業の重要な一部門を成した。
明治期: 「変態性慾」概念の輸入
明治期に入り、西洋の性科学(Sexologie)概念の翻訳を通じて、男性同性愛が「変態性慾」(sexual perversion)の枠組で再解釈されるに至った。クラフト=エビング『変態性慾』(邦訳 1913)、ハヴロック・エリス『性の心理学』等の翻訳を経て、男性同性愛は「異常」「病理」として医学化される側面と、近世以来の男色文化の延長線上で「文化的伝統」として擁護される側面の双方が並存する状況となった。
近代化過程で、武家文化に基盤を置く衆道・男色文化は急速に衰退した。一方、商業的男色(陰間茶屋)も近代法制度のもとで非合法化され、地下化していった。1873 年(明治 6)の「鶏姦律条例」は、男性間性交を「鶏姦」として刑事罰の対象としたが、1880 年(明治 13)の旧刑法施行により撤廃され、以降の日本刑法は同性間性行為そのものを犯罪としない方針を維持した。
戦後の地下文化と「ホモ」呼称
戦後、新宿・上野・浅草等の盛り場周辺に、男性同士の出会いの場が地下的に形成された。1950-1960 年代には、雑誌『風俗奇譚』(1960 年代)、『薔薇族』(1971 年創刊、第二書房)等の同性愛者向け雑誌が刊行され、当事者の交流・情報交換の場として機能した。
『薔薇族』は伊藤文学が編集長を務めた日本初のゲイ向け商業誌で、当事者投稿・体験記・小説・写真を掲載し、戦後日本のゲイ・コミュニティ形成の中核的媒体となった。同誌は 2008 年まで継続して刊行された。
同時期、当事者の一般的呼称としては「ホモ」(英語の homo=同を含む語の略)が広く流通した。当事者の側からは、「ホモ」が揶揄的・差別的に用いられる場面が多いことが繰り返し指摘されてきたが、1990 年代まで一般メディアでも頻繁に使用された。
1980 年代-1990 年代: ゲイ呼称の定着とエイズ危機
1980 年代後半から 1990 年代にかけて、英語圏のゲイ・カルチャー(映画・音楽・出版)の本格的流入と、当事者団体の活動を通じて、「ゲイ」が「ホモ」に代わる正式呼称として定着した。1986 年の「動くゲイとレズビアンの会(アカー)」設立、1990 年の「府中青年の家事件」(同性愛者団体の宿泊申請が東京都教育委員会に拒否された事件、最終的に当事者側が勝訴)等を契機として、ゲイ・コミュニティの社会的可視性が向上した。
同時期、HIV/エイズ危機がゲイ・コミュニティに深刻な影響を与えた。1980 年代から 1990 年代にかけての日本のエイズ政策は薬害エイズ(血液製剤による感染)に焦点が当たりがちで、ゲイ男性間の感染への対応は遅れた。当事者団体・支援団体(プレイス東京、ぷれいす東京、Living Together 計画等)の活動を通じて、HIV 検査・予防啓発・当事者支援が継続的に推進されてきた。
2000 年代以降: 制度化と LGBTQ 運動
2000 年代以降、ゲイの社会的可視性は大きく拡大した。新宿二丁目を拠点とするゲイ・コミュニティの認知、東京レインボープライド(1994 年初開催「東京レズビアン・ゲイ・パレード」を起源、現在は毎年 4 月に開催)等のプライドパレード、テレビ・映画・漫画・小説における当事者表象の増加等が進行した。
2015 年 11 月、東京都渋谷区が「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」を、世田谷区が要綱形式の同性パートナーシップ制度を、それぞれ施行した。これは日本における自治体レベルの同性パートナーシップ制度の最初期の事例である。
その後、同制度の広がりは急速で、2023 年 6 月時点で 328 自治体、2024 年 6 月時点で 459 自治体、2025 年 5 月時点で人口カバー率 90% 超に達したと、渋谷区などの共同調査が報告している。同制度はあくまで自治体独自の施策であり、法的婚姻と同等の効力は持たない。同性婚の法制化は 2026 年現在も未実現で、各地の同性婚訴訟(札幌・東京・大阪・福岡・名古屋の各高等裁判所)で違憲判断・違憲状態判断が出ているが、立法上の対応は遅滞している。
2023 年 6 月、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(LGBT 理解増進法)が成立・施行された。同法は、性的指向・ジェンダーアイデンティティの多様性に関する理解増進を国の責務として明文化したが、罰則を伴わない理念法であり、当事者団体からは「不十分」との評価も出ている。
新宿二丁目とコミュニティ地理
東京・新宿二丁目は、戦後日本のゲイ・コミュニティの中核的拠点として発展した街区である。1950-1960 年代の街娼地区から、徐々にゲイ向け飲食店(ゲイバー・ビアン向け飲食店)が集積する街区へと変容し、1980 年代以降は「ゲイの街」として国際的にも認知されるに至った。
街区内には、1990 年代以降ピーク時で 300 軒前後のゲイバー・ビアンバー・ミックスバー・クラブ・サウナ・書店等が集積したと推定される要出典。各店は固有の客層(年齢層・嗜好・職業)を持ち、コミュニティ内部の重層的な交流ネットワークを支えている。伏見憲明『新宿二丁目―「私たちの街」の社会学』(2004)等は、二丁目を中核とするゲイ・コミュニティの社会学的分析を提示している。
地方都市にも、大阪・堂山町、名古屋・池田町、福岡・春吉、京都・木屋町等にゲイ・コミュニティ地区が存在する。各都市の規模・歴史的背景に応じた多様な集積形態が並存している。
サブカルチャー上の表象
商業作品
ゲイを主題とする商業作品(漫画・小説・映画・AV)は、1970 年代以降に独立ジャンルとして確立した。雑誌『薔薇族』『さぶ』(1974 年創刊)『アドン』(1974 年創刊)等のゲイ向け商業誌は、小説・写真・体験記を多角的に掲載し、戦後日本のゲイ文化の主要発信媒体となった。
成人向け作品の領域では、1990 年代以降、ゲイ向け AV ジャンルが独立カテゴリとして確立し、市場規模・作品数の双方で大きく拡大した。
BL(ボーイズラブ)との関係
ゲイ当事者文化と、女性読者を主な対象とする BL(ボーイズラブ、男性同士の恋愛・性愛を主題とする漫画・小説のジャンル)とは、概念上区別される。BL は 1970 年代後半に少女漫画から派生したジャンルで、現実のゲイ当事者の経験と乖離した理想化的描写を特徴とする場合が多い。
BL の歴史的展開は、竹宮惠子・萩尾望都らの「24 年組」少女漫画家による先駆的作品(『風と木の詩』『トーマの心臓』等)を起源とし、1990 年代の商業 BL ジャンル成立、2000 年代以降の市場拡大を経て現在に至る。BL の読者層は大半女性であり、男性ゲイ当事者の経験を直接反映するものではない、という点が当事者団体・研究者からも繰り返し指摘されている。
海外との比較
英米欧のゲイ運動史は、1969 年のストーンウォール暴動を画期として、1970-1980 年代の社会運動展開、1980-1990 年代の HIV/エイズ危機、2000 年代以降の同性婚法制化(2001 年オランダを皮切りに、2026 年時点で 30 カ国以上)、を経て進展した。日本の同性婚未法制化は、先進国の中でも遅滞した位置にある。
タイ・台湾等のアジアの一部では、同性婚法制化(タイ 2024 年、台湾 2019 年)が日本に先行している。中国・韓国・シンガポール等では同性間性行為に対する刑事罰は廃止されているが、同性婚の法制化は実現していない。
倫理的留意
本項は、男性同性愛を性的客体化する記述ではなく、社会的・歴史的・文化的事象として記述するものである。略称「ホモ」が当事者に対して差別的に機能する側面に留意し、現実のゲイ当事者の存在と尊厳に十分な配慮をもって記述することが、執筆・編集における重要な原則である。
関連項目
参考文献
- 『Queer Japan from the Pacific War to the Internet Age』 Rowman & Littlefield (2005)
- 『ゲイ・スタディーズ』 青土社 (1997)
- 『新宿二丁目―『私たちの街』の社会学』 ポット出版 (2004)
- 『性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律』 法律 第68号 (2023) https://laws.e-gov.go.jp/law/505AC1000000068
- 『薔薇族』 第二書房 (1971-2008) — 日本初のゲイ向け商業誌
別名
- ゲイ
- gay
- homosexual male
- 男性同性愛者
- 男色家
- ホモ