LGBTQ
2010 年代半ば、東京・新宿二丁目の通りには、LGBT への支援を表明する企業のレインボーフラッグが目立つようになっていた。Tokyo Rainbow Pride 2015 のパレードでは過去最多の 5 万人以上が集い、テレビ・新聞は連日「LGBT」という新しい片仮名語を報じた。同年 4 月、東京都渋谷区が「同性パートナーシップ証明制度」を導入。日本社会に「性的少数者」の存在が法・制度・経済の俎上に乗り始めた瞬間であった。それから 10 年を経て、頭字語は LGBT から LGBTQ へ、さらに LGBTQIA+ へと拡張し、多様な性のあり方を可視化する語として定着している。
LGBTQ(エル・ジー・ビー・ティー・キュー、英 LGBTQ)は、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、出生時に割り当てられた性別と異なるジェンダーアイデンティティを持つ者)、Queer または Questioning(クィア/クエスチョニング、既存の性的カテゴリに当てはまらない者・性的指向やジェンダーアイデンティティを模索中の者)の頭文字を取った、性的少数者を包括する頭字語である。本項では概念の構造、関連法、国際的潮流、論点を扱う。
頭字語の構造と派生
LGBT から LGBTQ へ
頭字語の起源は、1980 年代の米国の活動家コミュニティにさかのぼる。当初は L/G(レズビアン・ゲイ)、続いて LGB、1990 年代に T(トランスジェンダー)が加わって LGBT が定着した。2010 年代以降、当事者運動の中で Q(クィア・クエスチョニング)を加えた LGBTQ の表記が広まり、現在では LGBTQ または LGBTQ+ が国際的標準的表記となっている。
LGBTQIA+
頭字語のさらなる拡張として、I(Intersex、インターセックス・両性具有的身体特徴を持つ者)、A(Asexual、アセクシュアル・他者に性的に惹かれない者)、+(その他のあらゆる性的少数性)を含む LGBTQIA+ がある。北米・欧州の活動家コミュニティで広く用いられる。
LGBTQ2S+
カナダ・米国先住民コミュニティでは、Two-Spirit(伝統的に男女両性的なジェンダー役割を担った先住民の身分)を加えた LGBTQ2S+ の表記が用いられる。植民地以前の性的多様性の伝統を可視化する政治的意味合いを持つ。
「Q」の二義性
Q は文脈により Queer(クィア、規範的性別・性指向に当てはまらない総称的アイデンティティ)、または Questioning(自身の性的指向・ジェンダーアイデンティティを模索中)のいずれかを指す。両義性は当事者運動の中で意識的に維持されており、明確な定義よりも当事者の自己定義を尊重する姿勢が反映されている。
各構成要素
レズビアン (Lesbian)
女性として女性を性的・恋愛的に対象とする者。古代ギリシアの女性詩人サッポーの故郷レスボス島に由来する語。日本ではレズ・ビアン・タチネコ等の俗語的呼称が並行して用いられてきた。
ゲイ (Gay)
男性として男性を性的・恋愛的に対象とする者。「同性愛」を意味する英語 homosexual に対する、当事者自身による自己表象として 1970 年代以降に普及した語である。男性のみならず女性同性愛者も含めて Gay と総称することもあるが、現代では男性同性愛者を指す用法が一般的である。
バイセクシュアル (Bisexual)
性別を問わず複数のジェンダーを性的・恋愛的に対象とする者。20 世紀初頭の精神分析理論で「両性愛」概念が提示され、1970 年代以降に当事者運動の自己表象として定着した。「Bi 不可視性」(bi invisibility、社会から無視されやすい構造)が継続的な論点となっている。
トランスジェンダー (Transgender)
出生時に割り当てられた性別と異なるジェンダーアイデンティティを持つ者を包括する語。性別違和(gender dysphoria)を伴う場合と伴わない場合があり、医学的処置(ホルモン療法・性別適合手術)を経る場合と経ない場合がある。日本法上は性同一性障害特例法が一部の者を対象に法律上の性別変更を可能とする。
クィア / クエスチョニング (Queer / Questioning)
Queer は元来「奇妙な」「変態的な」という蔑称であったが、1990 年代の当事者運動が肯定的に再領有した語である。既存の性的カテゴリ(同性愛・異性愛・男性・女性等)に当てはまらない、又はそれら境界を意識的に攪乱するアイデンティティ・実践を指す総称概念。Questioning は自身の性的指向・ジェンダーアイデンティティを模索中の状態を指す。
日本における法的展開
性同一性障害特例法 (2003)
2003 年 7 月成立、2004 年 7 月施行の「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(平成 15 年法律第 111 号)は、一定の要件を満たす性同一性障害者(医学的診断、20 歳以上、未婚、未成年の子なし、生殖機能不能、外観要件)に対し、家庭裁判所の審判による法律上の性別変更を可能とする。
要件のうち「生殖不能要件」は、不可逆的な手術を要求する点で人権上の問題が指摘され、2023 年 10 月 25 日、最高裁大法廷は「生殖不能要件は憲法 13 条(個人の尊重)に違反する」として違憲判決を下した。「外観要件」については 2024 年広島高裁判決が違憲との判断を示したが、最高裁判断は 2025 年時点で未確定である要出典。
LGBT 理解増進法 (2023)
2023 年 6 月 16 日成立、6 月 23 日公布・施行の「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(令和 5 年法律第 68 号、通称LGBT 理解増進法)は、LGBT に関する施策の基本理念を定める「理念法」である。罰則規定は持たず、国・自治体・事業者・学校に対する啓発・環境整備の努力義務を定める。
成立過程では「不当な差別はあってはならない」との基本理念が確認された一方、「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意する」との文言(12 条)をめぐって、法の趣旨が後退するとの当事者団体・人権団体からの批判が広がった。
パートナーシップ制度
法律婚は同性カップルに開かれていないが、地方自治体レベルでパートナーシップ制度が広がっている。2015 年 4 月、東京都渋谷区(条例による証明書発行)・世田谷区(要綱による宣誓書受領証交付)が日本初の制度を導入した。2024 年 6-7 月時点で全国 459-462 自治体が同制度を導入し、人口カバー率は約 85-93% に達している。
同性婚をめぐる訴訟
2019 年以降、複数の同性カップルが「同性婚を認めない民法・戸籍法は憲法 14 条(平等権)・24 条(婚姻の自由)に違反する」として国を提訴している(結婚の自由をすべての人に訴訟)。2021 年 3 月の札幌地裁判決(違憲判決)、2024 年 3 月の札幌高裁判決(違憲判決)を含め、2025 年時点で複数の高裁レベルで違憲判決が積み重なっている。最高裁判断は未確定。
国際的潮流
米国
米国連邦最高裁は 2015 年 6 月 26 日、Obergefell v. Hodges 判決により、同性婚を憲法上の権利として認め、全 50 州での同性婚を合法化した。2020 年 6 月の Bostock v. Clayton County 判決は、Title VII の性差別禁止規定が性的指向・性自認に基づく差別を含むと判示した。
台湾
台湾は 2017 年 5 月、司法院大法官解釈第 748 号により民法の婚姻規定を違憲とし、2 年以内の法整備を要請。2019 年 5 月 17 日、「司法院釈字第 748 号解釈施行法」が成立し、5 月 24 日施行。アジア初の同性婚法制化となった。
欧州
オランダ(2001 年、世界初)、ベルギー(2003)、スペイン(2005)、カナダ(2005)、南アフリカ(2006)等が早期に同性婚を法制化した。2025 年時点で 30 を超える国が同性婚を法制化している要出典。
ジョグジャカルタ原則
『性的指向及びジェンダーアイデンティティに関する国際人権法の適用に関するジョグジャカルタ原則』(Yogyakarta Principles, 2007)は、29 名の国際法学者・人権専門家が起草した、性的指向・性自認に関する国際人権法の適用指針である。2017 年改訂版が「ジョグジャカルタ原則 plus 10」として公表された。同原則は法的拘束力を持たないが、各国の人権政策・国連の活動の参照基準となっている。
国連
国連人権理事会は 2011 年に性的指向・性自認に関する初の決議を採択し、2016 年には独立専門家(Independent Expert)職を新設した。これらの動向は、性的指向・性自認に基づく差別を国際人権法上の課題として位置づけるプロセスの中で進められている。
議論
用語の更新と多様性
LGBT → LGBTQ → LGBTQIA+ という頭字語の拡張は、当事者運動が新たな自己表象の必要性を継続的に提起してきたことの表れである。同時に、頭字語の長大化が「分かりにくさ」を生み、当事者外の理解を妨げるとの実務的議論もある。これに対しては、SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity、性的指向と性自認)・SOGIE(SOGI + Expression、+ ジェンダー表現)といった、頭字語に依拠しない包括的概念が国際的に並行して用いられている。
「同性愛」と「性的指向」
同性愛(homosexuality)は WHO 国際疾病分類 ICD において 1990 年に脱病理化され、米国精神医学会 DSM では 1973 年に削除された。現代の医学・心理学的標準では、同性愛・両性愛は精神疾患ではなく、人間の性的指向の一様態である。しかし、日本社会の一部には依然として「治療対象」と捉える誤解が残存し、当事者団体・医学界が継続的に啓発を行っている。
バックラッシュ
LGBT 関連政策の進展に対して、保守系団体・宗教保守を中心としたバックラッシュも観察される。LGBT 理解増進法成立過程の党内議論、自治体パートナーシップ制度に対する反対運動、学校教育におけるLGBTQ関連教材への批判等、政策進展に伴う反作用が継続的な論点となっている。
当事者間の差異
LGBTQ は包括的な概念だが、内部の各構成要素は異なる課題を抱える。法律上の性別変更要件はトランスジェンダー固有の課題であり、同性婚はレズビアン・ゲイ・バイセクシュアルに直接関わる。実務的な権利擁護活動は、各構成要素の固有の課題を踏まえた個別的アプローチを並行して必要とする。
関連項目
参考文献
- 『LGBTを読みとく』 ちくま新書 (2017)
- 『性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律』 e-Gov 法令検索 (2023) https://laws.e-gov.go.jp/law/505AC1000000068
- 『性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律』 e-Gov 法令検索 (2003)
- 『Sexual Orientation, Gender Identity, and Human Rights』 International Commission of Jurists (2007)
別名
- LGBT
- LGBTQIA+
- LGBTQ2S+
- 性的少数者
- sexual and gender minorities