春画
葛飾北斎、喜多川歌麿、鈴木春信。江戸期の最高峰の絵師たちは、ほぼ例外なくこの分野でも作品を残した。
春画(しゅんが)は、江戸期に発達した性的主題の浮世絵作品の総称であり、浮世絵史の重要な一部門を成す。本項では浮世絵史上の位置、用語の系譜、主要絵師、近代以降の規制と再評価、海外コレクションの存在について扱う。
概要
春画は、17 世紀後半から 19 世紀後半にかけての江戸期日本において、町人文化の隆盛と木版印刷技術の発達に伴い大量に制作された性的主題の絵画作品群である。形式としては、(1) 一枚摺の木版画、(2) 巻物形式の絵巻物(春画巻、まくら絵巻)、(3) 冊子形式の春画本(艶本)、(4) 肉筆画(絹本・紙本)等の多様な形態を取った。
著名な浮世絵師、すなわち菱川師宣・鳥居清長・鈴木春信・喜多川歌麿・葛飾北斎・歌川国貞等のほぼ全員が春画作品を制作したことが現在の研究で確認されており、春画は浮世絵という美術形式の周辺的・隠微な側面ではなく、その中核的領域の一つを構成していた。
用語と歴史
「春画」「笑い絵」「枕絵」
「春画」の語は中国語「春宮画」に由来し、性愛場面を描いた絵画一般を指す漢語である。江戸期日本においては、「春画」は学術的・正式な呼称として用いられ、より口語的には「笑い絵」(わらいえ)、「枕絵」(まくらえ)、「秘画」(ひが)、「枕草紙」(まくらぞうし)等の語が広く使われていた。
「笑い絵」の呼称は、当時の江戸町人文化において春画が大笑いを誘う娯楽的・祝儀的性格を持っていたことを示すとされる要出典。同時期の春画には、戯画的・誇張的な描写、滑稽味のある脇役・小物、文学的なパロディ要素が頻繁に組み込まれており、純然たる性的興奮を目的とする現代的な「ポルノグラフィ」概念とは異なる文化的位置にあったとされる。
江戸初期(17 世紀後半)
春画の最初期の系譜は、菱川師宣(?-1694)に代表される 17 世紀後半の浮世絵草創期に遡る。師宣は墨摺絵(墨一色の木版画)、肉筆画の双方で多数の春画作品を残し、後の浮世絵春画の様式的基礎を確立した。同時期、菱川派・鳥居派の絵師たちが春画制作に従事し、江戸の町人層を主たる顧客として春画市場が形成されていく。
錦絵期と頂点(18 世紀後半-19 世紀前半)
1765 年の鈴木春信(1725-1770)による多色摺木版画(錦絵)技術の確立以降、春画は技術的・芸術的に急速に発達した。鈴木春信、鳥居清長(1752-1815)、喜多川歌麿(1753-1806)、葛飾北斎(1760-1849)、渓斎英泉(1791-1848)、歌川国貞(1786-1865)等の主要絵師が、各々独自の様式を持つ代表的春画作品を制作した。
特に葛飾北斎の春画本『喜能会之故真通』(きのえのこまつ、1814)所収の「蛸と海女」は、海女と蛸の交合を描いた極めて特異な構図と緻密な背景描写により、現代において最も世界的に知られた春画作品となっている。喜多川歌麿の『歌枕』(1788)、渓斎英泉の春画群、歌川国貞の春画本群も、それぞれ独自の様式的成果を残している。
江戸幕府の規制
春画は江戸期を通じて非合法的な出版物であった。1722 年の享保改革、1791 年の寛政改革、1841 年の天保改革における風俗統制の度ごとに、春画を含む艶本の出版・販売規制が強化されている。しかし、版元・絵師は地下流通網を介して継続的に春画を制作・流通させ、規制と制作の長期的均衡が形成された。
春画には版元・絵師の本名が明示されない場合が多く、戯号(ふざけた偽名)・別号を用いた作品が大半を占める。これは規制への対応の結果であると同時に、春画の戯作的・遊戯的性格を反映する慣行でもあった。
表現の特徴
構図と誇張
春画の表現上の特徴として、(1) 性器の極端な誇張描写、(2) 装束の細密描写、(3) 文学的・漢詩的詞書の併存、(4) 滑稽味・寓意性の組み込み、を挙げることができる。性器の誇張は、現代的「写実」概念とは異なる、江戸期独自の美術的表現規範であり、官能性の強調と滑稽味の喚起の双方を意図したものとされる要出典。
階層と文化
春画は江戸期町人文化の中で、高級品から廉価品まで広範な価格帯に渡って流通した。錦絵による色彩豊かな高級春画は富裕町人・武家層が購入し、木版墨摺の廉価春画はより広い階層に普及した。婚礼祝儀として贈られる、火災避けの守り札として保管される等、性的興奮の喚起以外の社会的機能も持っていた。
近代以降の規制と再評価
明治期からの規制
1872 年の太政官布告「春画売買禁止令」、1882 年の刑法「猥褻物頒布罪」(現刑法 175 条の前身)により、春画は近代日本において公式に違法出版物として位置づけられた。明治期から戦前にかけて、春画の所持・展示は制度的に困難となり、日本国内の研究・展示は事実上不可能となった。
戦後も長らく、春画は学術出版物・美術カタログにおいても性器部分を修正するか、出版そのものを断念する状況が続いた。1991 年の白倉敬彦『春画』(平凡社)が事実上、戦後初の本格的春画研究書として注目されたが、収録図版には部分的な検閲が施されていた。
21 世紀の再評価
国際的な春画研究の潮流は、欧米の美術館・研究機関による継続的な研究・展示蓄積を背景としている。大英博物館、ハンブルク民族学博物館、ボストン美術館等が大規模な春画コレクションを所蔵し、日本国内よりも先に学術的展示が行われてきた経緯がある。
2013 年、大英博物館で開催された大規模春画展「Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art」は、日本美術史の主要分野としての春画の位置を国際的に確立する画期的展示となった。同展のカタログ(Timothy Clark ら編)は、現在の春画研究の基本文献として参照される。
2015 年から 2016 年にかけて、東京・永青文庫(細川家ゆかりの美術館)で日本国内初の本格的春画展が開催された。500 年の規制を越えた最初の包括的な国内展示として、約 200 点の作品が公開された。これは日本における春画の公的・美術的地位の歴史的転換点となる出来事であった。
海外コレクションと研究
海外の主要春画コレクションとして、(1) 大英博物館(ロンドン、約 2,000 点)、(2) ハンブルク民族学博物館、(3) ボストン美術館、(4) ホノルル美術館、(5) アムステルダム国立美術館等が知られる。これらは江戸末期から明治・大正期にかけて、日本人協力者・西洋人収集家を介して海外に流出した作品群である。
学術研究としては、英国 SOAS(東洋アフリカ研究学院)、オックスフォード大学日産日本問題研究所等を拠点とする研究蓄積があり、Timothy Clark、Andrew Gerstle、Aki Ishigami らが主要研究者として活動している。
現代サブカルとの関係
春画は、現代日本のサブカル文化、特にエロ漫画・同人誌文化の遠い前史として位置づけられる。両者の表現様式は直接的には連続していないが、性的主題を視覚芸術として制作・流通させる文化的伝統の存在を示すという意味で、長期的な系譜関係が認められる。
特に、葛飾北斎「蛸と海女」のような幻想的・寓意的構図は、現代のエロ漫画・エロゲにおける触手もの等のジャンルと意外な系譜的接続を示すとされ、海外研究では春画とアニメ・漫画の連続性が論じられることがある要出典。
文化的言及
美術史家・白倉敬彦は『春画』(1991、新潮社版 2002)等を通じて、戦後日本における春画研究の基礎を築いた。Timothy Clark(大英博物館)らによる『Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art』(2013)は、英語圏における春画研究の到達点を示す論集である。春画は、日本美術史・東アジア性表現史・近世社会史の交差点に位置する重要な研究対象として、現在も国際的研究の対象となっている。
関連項目
参考文献
- 『春画』 新潮社 (2002)
- 『Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art』 British Museum Press (2013)
- 『浮世絵入門』 河出書房新社 (1990)
- 『日本美術全集 第13巻 江戸時代』 小学館 (2014)