M字開脚
膝を立てて、外側へ折る。それだけで姿勢は文字になる。
M字開脚(えむじかいきゃく)とは、女性が仰臥もしくは座位の状態から両膝を曲げ、左右へ大きく広げることで、両脚がアルファベットの「M」字を象る姿勢の総称である。日本のグラビア写真集・成人雑誌・アダルトビデオ・成人向け漫画において、被写体の身体を最も大胆に提示する画題として、1990 年代以降一貫して中心的な位置を占めてきた。本項では、その姿勢としての成り立ち、命名の由来、ヘア解禁前後を画期とする写真表現史、AV における配置上の意味、関連姿勢との異同について論じる。
概要
M字開脚は、被写体が仰臥位もしくは浅く腰掛けた座位を取り、両膝を 90 度前後まで曲げて両脚を左右へ広く開く姿勢を指す。両大腿と両下腿が描く線が、上方からの視点においてアルファベットの「M」を象ることから命名された。視覚的命名であり、解剖学的・運動学的な術語ではない。
姿勢としては単純だが、文化的には極めて荷重の重い構図である。両脚を広げる動作それ自体が、当該文化圏の身体規範においては「閉ざされていた領域の開示」を含意するからだ。日本の戦後出版史において、この姿勢が大判で印刷物に登場するまでには、後述するヘア解禁論争に至る数十年の助走期間を要した。M字開脚という名称が広く流通したのは、おおむね 1990 年代から 2000 年代にかけてのグラビア誌・AV 業界の用語慣行に由来する要出典。
姿勢としての M字開脚は、性交体位の一種ではない。体位の文脈においては、被挿入側がこの姿勢を取った状態に挿入側が対面する形が正常位の派生として位置づけられるが、本項で扱うのはあくまで「単独で成立する見せポーズ」としての M字開脚である。
「M字」と称される姿勢の意味と起源
視覚的命名の系譜
人体の姿勢にアルファベットや漢字を当てる発想は、日本語圏の身体表現に古くから散見される。「大の字」「逆さ大文字」「Y字バランス」「I字バランス」など、姿勢を文字に擬える命名は体操競技・武道・舞踊・写真表現の各領域で行われてきた。M字開脚もこの系譜に連なる視覚的命名であり、姿勢そのものの新規性ではなく、命名の流通が新しいに過ぎない。
両膝を立てて広げる姿勢自体は、出産・婦人科診察・ヨーガ(baddha koṇāsana、合蹠のポーズ)など、洋の東西と性別を問わず日常的に取られる姿勢である。江戸期の春画においても、女性の両脚を屈曲させて広げた構図は頻繁に描かれており、菱川師宣・鈴木春信・葛飾北斎・喜多川歌麿らの作品群にこの種の姿勢を見出すのは難しくない。ただし春画の場合、構図は性交場面に組み込まれており、姿勢単独の見せ場として独立してはいなかった。
「単独ポーズ」としての成立
M字開脚が「性交場面から独立した単独ポーズ」として写真表現に登場するためには、写真技術と印刷技術、ならびにそれを許容する出版規範の三つが揃う必要があった。20 世紀後半、グラビア印刷(写真凹版印刷、photogravure)による高精細な肉体表現が普及し、グラビア誌が大衆メディアとして定着したことで、被写体の身体を一枚絵として鑑賞する文化が成立する。M字開脚は、このグラビアという媒体と切り離して語ることのできない構図だ。
グラビア写真集における演出史
ヘア解禁前夜(1970–1980 年代)
戦後日本のグラビア表現は、1964 年創刊の『平凡パンチ』、1966 年創刊の『週刊プレイボーイ』、1971 年創刊の『GORO』を主軸に、水着・ランジェリー姿の女性ピンナップを大衆化した。1970 年代から 80 年代にかけては、刑法 175 条と税関検査による陰毛・性器描写の規制が強固に機能していたため、M字開脚に近い構図は撮影されたとしても、最終的な誌面では陰部周辺に修正が加えられるか、布地で遮蔽される形でしか発表できなかった。
この時期の M字開脚的構図は、しばしば水着のクロッチや薄手のパンティを介して提示された。陰部を直接的に露呈しない、しかし「広げる」という動作そのものを画面に置く――この緊張関係が、グラビア表現特有の「見せて見せない」演出の原型を形作った。
ヘア解禁論争と『Santa Fe』(1991)
写真表現史における決定的な転換点は、1991 年に篠山紀信が撮影した宮沢りえの写真集『Santa Fe』(朝日出版社)の刊行である。同書は陰毛を含む裸体写真を芸術写真として大判で掲載し、わいせつ物頒布罪に問われない出版形態を提示した。井上章一『ヘアヌードの誕生』(1996)は、この出来事を「芸術と猥褻のあいだの境界線が政治的に再画定された画期」と位置づけている。
『Santa Fe』それ自体に M字開脚の構図は中心的に登場しないが、同書を端緒として開始された「ヘアヌード解禁」期(1991–1995 年頃)に、ヌード写真集の表現領域は急速に拡大した。週刊誌・写真集・成人誌の各媒体において、両脚を広げた構図が陰毛を含めて掲載可能となり、M字開脚は「単独ポーズ」として写真表現の語彙に正式に組み込まれた。
1990 年代後半以降の定着
1990 年代後半から 2000 年代にかけて、M字開脚はグラビアアイドルの写真集や青年誌グラビアにおける標準的構図のひとつとして定着した。安田理央『日本エロ本全史』(2019)は、1990 年代以降の成人誌・青年誌における身体表現の拡張を詳細に記述しており、M字開脚はその延長線上にある「最大開示の構図」として位置を占めることになる。
2000 年代に入ると、グラビアアイドルの写真集の表紙そのものに M字開脚的構図(膝を立てて両脚を広げ、しゃがみ込む姿勢)が採用される事例も増加した。陰部の直接描写は依然として規制されているため、ここでの M字開脚は水着・短パン・スカート越しに行われる「示唆としての M字」であり、ヘアヌード期のそれとは異なる画面文法を持つ。
アダルトビデオにおける配置
「見せ場」としての M字開脚
アダルトビデオにおける M字開脚は、性交場面の前後に配置される独立した「見せ場」として機能する。挿入の直前に、女優が仰臥もしくは座位で両脚を広げ、カメラがその姿勢を正面から数秒間捉える。この静止に近い瞬間が、画面の進行を一度区切る役割を果たすのだ。動と静のリズムにおいて、M字開脚は「静」の極にある構図といえる。
商業 AV では、結合部のモザイク処理が義務付けられているため(刑法 175 条および業界自主規制)、結合部の鮮明な描写は不可能である。それゆえ、結合に先立つ「開示の瞬間」――両脚が広げられ、視線がそこへ集まる構図――が、行為の直接描写の代替として機能する。M字開脚は、検閲下の AV 表現において「行為そのものを描けないことを補う構図」として制度的に要請された画題なのである。
痴女ジャンルにおける逆転
通常の AV における M字開脚は、女優が「開かれる」客体として配置される。しかし 1990 年代末から 2000 年代にかけて成立した痴女ジャンルでは、この構図が逆転する。痴女ものでは、女優自身が能動的に両脚を広げ、男優を誘い込む主体としての姿勢として M字開脚を取る。
同じ姿勢でありながら、画面の意味は反転している。受動的な「開かれ」と、能動的な「開く」の差異が、ジャンル区分の核を成す。痴女ジャンルの隆盛とともに、M字開脚は「能動的女性像の象徴的構図」としての二次的意味を獲得していった。これは前項の騎乗位が能動的女性像の体位として機能する事情と並行する現象である。
ハメ撮りと素人ジャンル
ハメ撮り・素人系ジャンルにおける M字開脚は、上記二者とまた異なる位相を持つ。撮影者の主観視点(POV)から仰臥した女性の脚の間越しに撮影される構図は、観者を撮影者の位置に置く擬似一人称的画面構成であり、M字開脚はその擬似空間を成立させる装置として機能する。
関連姿勢
あぐら開脚
両足底を合わせ、両膝を外側へ落とす姿勢(ヨーガの合蹠位、baddha koṇāsana に相当)。M字開脚と異なり膝が床に近づくため、文字としては M というより菱形に近い。グラビア・AV では「あぐら開脚」「あぐら座り」と呼ばれ、M字開脚より柔らかい印象を与える構図として使い分けられる。
観音開き
両手で両大腿の内側を抱え、自ら左右に広げる姿勢。両開きの扉(観音開き)に擬えた命名で、しばしば「自ら開示する」という能動性を強調する画題として AV・成人漫画で多用される。M字開脚との関係は近接的だが、観音開きは「両手を使って自ら広げる」点に焦点があり、姿勢としては M字開脚の能動的派生形と位置付けられる要出典。
開脚屈曲位(まんぐり返し)
仰臥した状態から両脚を頭部側へ折り返し、腰を浮かせる姿勢。M字開脚が「立てた M」であるのに対し、まんぐり返しは「畳まれた M」とでも形容すべき形態で、姿勢の極端化として位置付けられる。
体位としての側面
挿入側が対面位置からM字開脚を取る被挿入側に挿入する形態は、正常位の標準的派生として広く認識されている。本項の対象は単独ポーズとしての M字開脚であるが、姿勢の連続性という観点からは、正常位の準備姿勢ないし開始姿勢としての M字開脚という側面も併せ持つ。
媒体ごとの差
グラビア(雑誌・写真集)
雑誌グラビアおよびグラビアアイドルの写真集における M字開脚は、原則として水着・下着・短パン・スカート等の衣類を介した「示唆」として実装される。陰部の直接的開示は法的・商慣行的に避けられ、「広げる動作そのものの記号化」が画面構成の主眼となる。表紙構図に採用される際は、両膝を立ててしゃがみ込み、視線を正面へ向ける姿勢が選好される傾向がある。
AV
AVにおける M字開脚は、結合部のモザイク処理を前提とした画面構成のなかで、「開示の瞬間」として配置される。前述のとおり、痴女ジャンルでは能動性の象徴へと意味が反転する。撮影上は、カメラ位置の自由度の高さ(正面・側面・俯瞰)から、複数アングルの組み合わせが容易な構図でもある。
成人向け漫画
成人向け漫画における M字開脚は、コマ割りの中で「見開き」「大ゴマ」を要求する画題として機能する。漫画は静止画の連鎖であるため、ある一瞬を強調するためにコマの大きさを調整する文法が機能しており、M字開脚は読者の視線を特定の場面に長く留める装置として用いられる。陰部の直接描写は出版社の自主規制により部分的修正(白抜き・海苔)が施されるが、姿勢としての M字開脚は規制の影響を受けにくいため、成人漫画における頻出度は AV やグラビア以上に高いとも論じられる要出典。
三媒体の差異
要約すれば、M字開脚は媒体ごとに次のように機能を分化させている。グラビアでは「示唆としての構図」、AV では「開示の瞬間としての構図」、成人漫画では「視線を留める大ゴマとしての構図」である。同じ姿勢が、媒体の制約と表現文法に応じて異なる意味を帯びる現象は、姿勢命名の視覚性に依存する商業表象において一般的に観察される事情だ。
文化的言及
M字開脚は、戦後日本の身体表象史において、グラビアという媒体の成熟、ヘア解禁論争、AV 産業の制度化という三つの局面を貫く構図として位置を占める。井上章一『ヘアヌードの誕生』が記述したように、1991 年前後の日本社会は「裸体のどこまでを商品化しうるか」を集合的に交渉した時期であり、M字開脚はその交渉の結果として獲得された画面語彙のひとつである。
ジェンダー論的観点からは、M字開脚は前述のとおり「客体的開示」と「能動的提示」の双方の意味を担いうる多義的構図として論じうる。同一の姿勢が、撮影者の指示で取られたか、被写体・演者自身が能動的に取ったかによって、画面が伝える意味が反転する。姿勢の意味は姿勢そのものに内在するのではなく、それを支える文脈に派生するという、表象論の基本命題を例示する画題でもある。
関連項目
参考文献
- 『日本エロ本全史』 太田出版 (2019) — 1946年から2010年代までのエロ本史を扱う。ヘア解禁論争およびヘアヌード期のグラビア表現について詳述
- 『ヘアヌードの誕生 ―芸術と猥褻のあいだ』 新潮社 (1996) — 1991年の宮沢りえ『Santa Fe』前後を中心とする検閲・出版・表象史
- 『グラビアの夜明け』 笠倉出版社 (2007) — 週刊プレイボーイ・GORO・平凡パンチ等のグラビア掲載史
- 『Santa Fe』 朝日出版社 (1991) — 戦後日本のヘアヌード解禁の画期となった写真集
- 『刑法 第175条 わいせつ物頒布等の罪』 e-Gov 法令検索 — 陰毛・性器の描写規制の根拠となる条文 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045
別名
- エム字開脚
- M字開き
- M-spread
- M-shaped legs pose