陰茎
医学書のページを繰る指が止まるのは、たいていここである。陰茎海綿体、尿道海綿体、白膜、深陰茎背静脈──。普段は俗称や隠語の影に隠れている器官が、この紙面の上では冷静な解剖学用語の階層に位置づけられている。
陰茎(いんけい、ラテン語: penis、英: penis)とは、男性外性器の解剖学的正式名称である。海綿体構造により勃起機構を備え、尿道を内包する管状器官として、排尿・射精・性行為の各機能を担う。日本語俗称としては「ペニス」「魔羅」「一物」「男根」等の表現が並存するが、医学・法令・正式文書では「陰茎」が標準用語として用いられる。
概要
陰茎は哺乳類雄性個体に共通する外性器構造で、ヒトの場合は恥骨結合下方に付着する。解剖学的には根部・体部・亀頭の三区分から成り、内部構造は陰茎海綿体・尿道海綿体・白膜・諸動静脈・神経束・尿道から構成される複雑な器官である。
医学的検討の対象となる主題は多岐にわたる。陰茎の発生学的形成過程、勃起と射精の生理機構、サイズに関する集団統計、勃起不全(ED)、包茎、陰茎癌、ペロニー病(陰茎硬結症)、性転換手術における陰茎形成術等、解剖学・泌尿器科学・形成外科学・内分泌学の各領域が交差する研究領域として、長い学術的蓄積を持つ。
解剖学的構造
区分
陰茎は近位から遠位へ向かって、根部(radix penis)、体部(corpus penis)、亀頭(glans penis)の三区分で記述される。根部は会陰部に固定される基部で、左右の脚(crura penis)と球(bulbus penis)から成る。体部は陰嚢上方を前方に進む円柱状部で、可動性を持つ。亀頭は遠位端の膨大部で、円錐状ないしどんぐり状の形態を呈する。
海綿体
陰茎の硬度を担う中核構造は、左右一対の陰茎海綿体(corpora cavernosa penis)と、中央下方を縦走する尿道海綿体(corpus spongiosum penis)である。陰茎海綿体は背側を占め、強固な白膜(tunica albuginea)に包まれている。尿道海綿体は腹側を占め、その内部に尿道が貫通する。尿道海綿体の遠位端は膨大して亀頭を形成し、近位端は球部(尿道球)を形成する。
各海綿体の内部は無数の小腔(海綿状空隙)から成り、これらは動脈系から血液が流入する被覆構造を持つ。性的興奮時には海綿体動脈が拡張し、海綿体内圧が上昇する。同時に静脈還流が物理的に圧迫されて減少することで、海綿体が拡張・硬化し、勃起に至る。
神経・血管
陰茎の動脈血供給は内陰部動脈(arteria pudenda interna)の枝である陰茎動脈群(背動脈、深動脈、球動脈、尿道動脈)が担う。静脈還流は深陰茎背静脈(vena dorsalis profunda penis)を経て、前立腺静脈叢に注ぐ。
支配神経は陰部神経(nervus pudendus)由来の陰茎背神経が体性感覚を、骨盤内臓神経(副交感)・下腹神経(交感)由来の自律神経線維が勃起・射精機構を制御する。亀頭表面には感覚神経終末が密に分布し、性感受性の高い領域を形成する。
発生学
胎生期において、男性外性器と女性外性器は共通の原基から分化する。生殖結節(tuberculum genitale)が胎齢 7-8 週前後にアンドロゲン作用を受けて伸長すると陰茎の原型となり、生殖隆起(plicae genitales)が癒合して陰嚢を形成する。アンドロゲン作用が欠如すれば、同じ原基が陰核・小陰唇・大陰唇へと分化する。
この発生学的相同性は、男女の外性器が「対立」ではなく「同一構造の分岐」であることの解剖学的根拠となる。クリトリスの解剖学的構造が陰茎の縮小相似形であることや、男性・女性双方に対応する海綿体組織が存在することは、こうした発生学的事実の現れである。
勃起の機序
勃起は、性的刺激(視覚・触覚・嗅覚・心理的興奮等)を契機として開始する。中枢神経系から仙髄勃起中枢への入力を経て、副交感神経終末から一酸化窒素(NO)が放出される。NO は陰茎海綿体平滑筋に作用してグアニル酸シクラーゼを活性化し、cGMP 濃度上昇を介して海綿体平滑筋の弛緩を誘導する。
平滑筋弛緩により海綿体内の血管空間が拡張し、動脈血の流入量が増大する。同時に拡大した海綿体が静脈系を圧迫することで還流が抑制され、海綿体内圧が体血圧を超える水準まで上昇する。この一連の機序により、陰茎は完全勃起状態に至る。射精後ないし性的興奮の終息後は、海綿体平滑筋が再収縮し、静脈還流が回復することで弛緩状態に戻る。
勃起不全(erectile dysfunction, ED)は、この機序のいずれかの段階に異常を来す病態の総称である。シルデナフィル(バイアグラ)等の PDE5 阻害薬は、cGMP の分解を抑制することで勃起維持を補助する薬物であり、1998 年の登場以降、ED 治療の中核的選択肢となっている。
病態と医学的論点
包茎
包茎(phimosis)は、包皮(preputium penis)が亀頭を翻転させて露出することができない状態を指す。日本人男性における包茎の頻度は思春期以降減少するが、成人期にも一定割合で存在する。医学的には真性包茎・仮性包茎・カントン包茎の三類型が区別され、後二者は手術適応となる。
陰茎癌
陰茎癌(carcinoma penis)は陰茎扁平上皮癌が大半を占める希少癌で、高齢男性に発症する。ヒトパピローマウイルス(HPV)感染、慢性炎症、包茎との関連が疫学的に指摘されている。
ペロニー病
ペロニー病(induratio penis plastica、陰茎硬結症)は陰茎海綿体白膜の局所的線維化により、勃起時に陰茎が湾曲する病態である。原因は不明だが、外傷説・自己免疫説等が提唱されている。
文化的言及
陰茎は古来より男性性の象徴・宗教的崇拝対象・呪術的記号として、各文化の表象体系に組み込まれてきた。日本においては各地の道祖神信仰・金精神信仰・春画の様式的表現に陰茎形象が見出される。古代ギリシア・ローマにおいては祭祀儀礼のファロス像、豊穣神プリアポスの巨陰茎、ヘルメス柱(herm)の屹立した陰茎彫刻などが、性と豊穣の連続的な象徴体系を構成した。
近代医学が解剖学的中立記述を獲得する一方で、陰茎は依然として文化記号としての多義性を保持し続けてきた。フランクリン・フリッツの研究、ラカン精神分析におけるファロス概念、フェミニズム批評におけるファロセントリズム論争など、20 世紀の人文学諸領域において陰茎は記号論的・批評的検討の対象として再帰的に主題化されている。
関連項目
参考文献
frontmatter references 参照。
参考文献
- 『プロメテウス解剖学アトラス 頸部・胸部・腹部・骨盤部』 医学書院 (2017)
- 『グレイ解剖学 原著第4版』 エルゼビア・ジャパン (2019)
- 『標準泌尿器科学 第10版』 医学書院 (2021)
- 『性機能障害ガイドライン』 金原出版 (2018)
- 『Campbell-Walsh Urology』 Elsevier (2020)
別名
- penis anatomy
- 男茎
- 陽物