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万葉集の性愛歌

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万葉集の性愛歌(まんようしゅうのせいあいか)とは、8 世紀中葉に成立した現存最古の和歌集『万葉集』(全 20 巻、約 4500 首)に収められた、恋愛・身体・性愛をめぐる歌の総称である。仁徳朝から天平宝字三年(759)に至るおよそ 130 年間の歌を収録する本集は、相聞(そうもん)・挽歌(ばんか)・雑歌(ぞうか)の三大部立を基軸とし、特に相聞歌は男女間の贈答を中心とする恋愛歌として独立した一群を成す。本項は、貴族層から庶民層に至る多層的な作者集団による性愛表現の構造、額田王(ぬかたのおおきみ)・大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)・狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)ら主要女流歌人の作風、防人歌・東歌に現れる地方庶民の性愛表現、枕詞・掛詞を介した性的暗示の技法、そして後世の勅撰和歌集および王朝物語への影響を、近代以降の上代文学研究の成果に依拠して概観する。

概要

『万葉集』は天平宝字年間以後、大伴家持(おおとものやかもち)の関与を経て段階的に編纂されたとみられる和歌集で、長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌・連歌の各歌体を含み、漢字の音訓を併用する万葉仮名で記される。所収歌は天皇・皇族・貴族・官人・采女・遊行女婦(うかれめ)・防人・東国の農民・乞食者(ほかひびと)など極めて広範な階層に及ぶ。これは平安朝の勅撰和歌集が貴族層の作にほぼ限定されるのと対照的であり、上代日本の性愛表現を階層横断的に観察できる稀有な史料価値の根拠でもある。

伊藤博『万葉集の歌人』(1975)は、万葉相聞歌の本質を「個と個の往還」に見出し、それが宮廷儀礼の歌から私的恋愛歌へ、さらに伝承的な民謡的相聞へと多元的に展開する過程を体系化した。辰巳正明『万葉集と中国文学』(1987)は、漢魏六朝の楽府(がふ)・宮体詩・遊仙詩との比較を通じて、万葉の性愛表現が単なる素朴な「ますらをぶり」(賀茂真淵)に還元されない、漢文学受容を経た高度に文学的な構築物であることを論証した。佐佐木幸綱『万葉集の歌』(1985)は、現代歌人の視点から万葉相聞の身体性・声調・即興性を再評価し、上野誠『万葉集の楽しみ方』(2010)は近年の考古学・古代史研究の成果を取り込みつつ、宴席・儀礼・労働の場における歌の社会的機能を強調している。

部立と相聞歌

三大部立の構造

『万葉集』は概ね「雑歌」「相聞」「挽歌」の三部立を基本とする。雑歌は宮廷儀礼・行幸・宴席など公的場面の歌、挽歌は死者への哀悼歌、そして相聞は男女・親子・友人間の贈答歌を指すが、その大半は男女間の恋愛贈答が占める。とりわけ巻 4・巻 8・巻 11〜14 に相聞歌が集中的に編纂されており、巻 11・12 の「古今相聞往来歌類(ここんそうもんおうらいのうたのたぐい)」は作者未詳の伝承的恋歌を大量に収め、貴族層の私的相聞歌とは異なる古層の歌群を形成する。

「相聞」概念の拡がり

「相聞」とは本来、漢籍において書簡の往還を指す語で、消息のやりとり一般を意味した。それが日本に受容される過程で次第に男女の贈答歌、特に恋愛をめぐる贈答歌の謂いへと収斂した。辰巳正明は中国文学の「相聞」用例を博捜し、『文選』や『玉台新詠』に見える用法と万葉部立の用法との連続と差異を論じている。万葉相聞は単なる私的書簡の文学化ではなく、独立した歌のジャンルとして自立していった点に日本独自の発展がある。

挽歌のなかの性愛

挽歌は死者を悼む歌であるが、夫婦・恋人を悼む歌においては性愛と死が分かちがたく結びついて表現される。柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の妻挽歌(巻 2・207〜212)は、亡き妻の身体・声・面影への切実な追想を介して、生前の性愛関係そのものを叙情の対象とする。この「死を介して甦る性愛」の構造は、後代の和歌・物語における重要な表現様式となった要出典

主要女流歌人と性愛表現

額田王

額田王は天智・天武両帝に愛されたとされる宮廷歌人で、巻 1・20 番歌「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」、および天武の返歌「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」は、二帝の三角関係を含意する歌として古来注目されてきた。梶川信行『額田王』(2002)は、こうした伝承的解釈を史料批判的に検討し、額田王の歌は単なる私的恋愛歌ではなく宮廷儀礼の場における公的所作の側面を併せ持つことを論じている。いずれにせよ、女性側からの能動的な恋情の表明と、男性君主との間の応酬の歌は、上代の女流性愛表現の最初期の頂点を示す。

大伴坂上郎女

大伴坂上郎女は大伴旅人(おおとものたびと)の異母妹、家持の叔母にあたり、万葉集中で女性として最多の 84 首を残す。巻 4・661「恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしき言尽してよ長くと思はば」は、再会の場でも誓いの言葉を尽くせと迫る能動的恋情の歌である。彼女の歌群には、年下の男性に対する母性的視線、若い男女に代作した相聞歌、神事を司る巫女的立場の歌が混在し、上代女流性愛表現の幅を示す重要な参照点となる。

狭野茅上娘子

狭野茅上娘子は中臣宅守(なかとみのやかもり)に嫁いだのち、夫が罪を得て越前に流罪となった折に交わされた贈答歌(巻 15・3723〜3785、計 63 首)で知られる。「君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも」(巻 15・3724)は、夫が辿る長い流刑の道を畳んで焼き尽くす天の火を希求する激しい歌で、上代女流恋歌のなかでも極めて強烈な情念の表出として評価される。佐佐木幸綱はこの歌を引き、上代女性の性愛表現が儀礼性と私情との緊張のなかで最も鋭利な詩的高みに達した例とした。

防人歌と庶民の性愛

防人歌の階層性

防人歌(さきもりうた)は、天平勝宝七歳(755)に難波で徴発された東国出身の防人とその家族による歌で、巻 14・巻 20 に集中的に収められる。家持が兵部少輔として防人徴発に関与した折に蒐集したと伝えられ、徴発される夫と残される妻、見送る親と発つ子の間に交わされる歌は、貴族文学の修辞を経由しない直接的な性愛・愛情の表現として独自の価値を持つ。

巻 20・4322「我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず」は、出征する夫が水に映る妻の面影を見るという素朴な空想を通じて夫婦の性愛的紐帯を表現する。同・4421「我が行きの息づくしかば足柄の峰延ほ雲を見とと偲はね」、4422「我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も」は、夫が旅立った後、妻が「帯を解かない=性的関係を断つ」誓いを述べる歌で、貴族相聞には見られない直截な身体的所作の言及が特徴である。

東歌の身体性

東歌(あづまうた)は東国諸地方(相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥)の民謡的歌群で、巻 14 に約 230 首が収められる。標準語的な大和言葉とは異なる東国方言が頻出し、貴族層の歌では避けられる身体器官・性的所作への直接的な言及が見られる。

巻 14・3404「上つ毛野安蘇山つづら野を広み延ひにしものを何か絶えせむ」、3459「稲つけばかかる我が手を今宵もか殿の若子が取りて嘆かむ」など、労働と性愛が一体化した日常生活の歌は、上代庶民層における性愛表現の存在様態を示す貴重な記録である。上野誠は東歌の身体性を「生活と歌の未分化」と表現し、貴族文学に対する対抗的価値の源泉と位置づけている。

遊行女婦の歌

万葉集には遊行女婦(うかれめ)児島・蒲生野の采女(うねめ)らの歌が散見される。巻 6・966 番歌、太宰帥大伴旅人を送る筑紫の遊行女婦児島の歌「凡(おほ)ならばかもかも為(せ)むを畏(かしこ)みと振り痛(た)き袖を忍びてあるかも」は、貴族男性との性的・社交的関係を担う女性自身による恋情表現として注目される。これは後世の白拍子・遊女文学の前史をなす。

修辞技法と性的暗示

枕詞による婉曲表現

万葉歌の修辞の根幹をなす枕詞(まくらことば)は、特定語に冠せられる定型的修飾句であるが、性愛歌においてはしばしば性的事象を婉曲に指示する装置として機能した。「足玉(あしたま)の」「玉だすき」「ぬばたまの」「たまきはる」など玉・夜・命に関わる枕詞群は、女性の身体・夜の逢瀬・性的結合を間接的に喚起する記号として運用されている。

掛詞と序詞の重層性

「逢ふ」と「逢坂」、「寝(ね)」と「峰(ね)」、「松」と「待つ」、「裏(うら)」と「心(うら)」など、同音異義語を介する掛詞は、表面的な自然描写の背後に性愛的含意を二重化する技法として高度に発達した。序詞(じょことば)はさらに長く、自然事象を契機として核心の恋情へと連結する構造を取り、性的事象の直接表記を回避しつつ詩的密度を高める。辰巳正明は、これらの技法が漢詩の「比興」や楽府の比喩構造と並行しつつも、日本語の音韻特性に固有の発達を遂げたと論じている。

「夜」「衣」「枕」の語彙

「夜」「衣」「枕」「夢」「袖」「紐」「帯」「下紐(したひも)」など、後の平安和歌でも継承される性愛関連語彙のほとんどは、すでに万葉歌のなかに明確な含意を伴って出現している。とりわけ「下紐解く」は、衣の下紐を解くという行為を通じて性的合一を婉曲に指示する慣用表現として確立し、巻 11・12 の伝承相聞歌群に頻出する。これらの語彙的記号化は、平安朝以降の和歌・物語における性愛表現の基層を形成した。

階層性と文化的機能

貴族と庶民の性愛表現

万葉集の性愛歌は、その作者層の広がりにより、上代日本の性愛表現の階層差を稀有な精度で記録する。貴族層・宮廷歌人の歌には漢詩の影響を受けた修辞技法と儀礼的所作が刻印され、庶民層・地方民衆の歌には労働・身体・直接的所作への言及が前景化する。両者は単純に対立するわけではなく、相互に交差し、東歌や防人歌が貴族編者の選別と編纂を経て中央の歌集に収載されるという文化的回路が成立していた。

宴席と儀礼の場

上代の歌は本来、書記され読まれる文学ではなく、宴席・儀礼・労働の場で声に出して詠われる集団的所作であった。性愛歌もまた、私的な書簡として閉じるのではなく、宴の場で披露され、聴衆の共感や応酬を引き出す社交的所作の一部であった。上野誠は近年の研究において、この「場の文学」としての万葉歌の性格を強調し、性愛歌を単なる個人的告白の文学として読むことの限界を指摘している。

文化史的意義と後世への影響

古今和歌集への継承と変容

『古今和歌集』(905)以降の勅撰和歌集は、万葉の相聞歌のうち貴族的・洗練的な側面を継承しつつ、東歌・防人歌・遊行女婦歌に現れる庶民的・身体的側面を排除する方向で展開した。これに伴い、和歌の性愛表現は次第に間接化・美的様式化され、平安期の王朝文学に特有の「みやび」の美学へと収斂していく。

源氏物語の性愛表現の源流

紫式部『源氏物語』をはじめとする平安期物語文学に見られる性愛描写の語彙的・修辞的基層は、その多くが万葉集にすでに胚胎している。「下紐解く」「袖を濡らす」「夢に見ゆ」「魂(たま)あふ」など、平安和歌・物語が共有する性愛表現の慣用句は、万葉相聞の蓄積を経由して定着したものである。古今集以降の勅撰集は万葉を「古」として尊崇しつつ、その表現の一部を選択的に継承することで、王朝文学の性愛表象の基盤を形成した。

国学と近代文学の万葉観

江戸期の国学において、賀茂真淵『万葉考』(1768〜)は万葉歌を「ますらをぶり」(雄々しく直接的な歌風)として顕彰し、平安和歌の「たをやめぶり」(優美で婉曲的な歌風)と対比させた。この対比は、近代に入って正岡子規・斎藤茂吉らアララギ派の万葉再評価運動へと連なり、明治・大正期の短歌革新の中心的参照軸となった。性愛表現の観点からは、子規・茂吉の解釈は万葉相聞の身体性・直情性を称揚し、平安和歌の様式美に対する対抗的価値を引き出すものであった。

国際比較研究

辰巳正明の比較詩学的研究は、万葉相聞を中国南朝の宮体詩・楽府民歌、朝鮮三国時代の郷歌、東南アジア諸民族の歌垣的歌謡と並列的に検討し、東アジア古代恋歌のなかでの万葉の位置を相対化する作業を進めている。日本の性愛和歌が、孤立した独自現象ではなく、東アジア古代社会に共通する歌掛け・歌垣・問答歌の系譜のなかに位置づけられる可能性が示唆されている。

関連項目

参考文献

  1. 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之 校注 『新日本古典文学大系 万葉集 一〜四』 岩波書店 (1999-2003)
  2. 佐佐木信綱 編 『万葉集(岩波文庫)』 岩波書店 (1927)
  3. 伊藤博 『万葉集の歌人』 塙書房 (1975)
  4. 伊藤博 『万葉集釈注』 集英社 (1995-2000)
  5. 辰巳正明 『万葉集と中国文学』 笠間書院 (1987)
  6. 辰巳正明 『万葉集と比較詩学』 おうふう (1998)
  7. 上野誠 『万葉集の楽しみ方』 岩波書店 (2010)
  8. 上野誠 『万葉集から古代を読みとく』 筑摩書房 (2017)
  9. 佐佐木幸綱 『万葉集の歌』 新潮社 (1985)
  10. 稲岡耕二 『万葉集の歌人と作品』 塙書房 (1985-1992)
  11. 梶川信行 『額田王』 塙書房 (2002)

別名

  • 万葉の性愛歌
  • 万葉ラブソング
  • Love poems in the Man'yōshū
  • Erotic poetry of the Man'yōshū
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