hentai-pedia

PV

キャバレー文化

kyabareebunka

キャバレー文化(きゃばれーぶんか)とは、酒席・舞台演芸・女性従業員による接待を一体化した大型夜間興行業態としての「キャバレー」をめぐる、二十世紀以降の文化的展開の総称である。戦前期のダンスホールを前史とし、占領期に進駐軍向け施設として再編され、1950 年代から 1960 年代にかけて高度経済成長期の都市大衆文化の象徴として全盛を迎え、1970 年代以降はキャバクラ業態への漸進的転換を経て、現代では一部老舗のみが残存する、という通史的展開を指す概念である。

概要

「キャバレー」(cabaret)はフランス語で本来「居酒屋」を意味するが、十九世紀末のパリ・モンマルトル界隈において、酒場と歌唱・寸劇・舞踊を組み合わせた興行形式が成立し、ヨーロッパ各都市へと波及した。日本では大正末期から昭和初期にかけてダンスホールとして輸入され、戦後にいわゆる「キャバレー」業態として独自の発展を遂げた。海外の cabaret(モンマルトル系・ヴァイマル期ベルリン系)が文芸・諷刺・前衛芸術と結びついた小規模な舞台空間であったのに対し、日本のキャバレーは大型化・庶民化・接待業化の方向に進んだ点で性格を異にする要出典

業態としての日本のキャバレーは、(一)バンドによる生演奏とフロアダンスの場としての「ホール」要素、(二)女性従業員(ホステス)が客のテーブルに同席して酒の相手をする「接待」要素、(三)ストリップショーや歌謡ショー等の「ショー」要素、の三つを大型店舗内に併置する構成を典型とした。風俗営業の法的位置づけとしては、1948 年(昭和 23 年)制定の風俗営業取締法(現・風営法)に基づくキャバレー営業として規制下に置かれた。

語源

「キャバレー」の語はフランス語 cabaret に由来し、その語源はラテン語 caput arietis(雄羊の頭)を看板に掲げた酒場、あるいは古フランス語 cabaret(小屋・木組み小屋)等、複数の説がある。中世フランスでは旅籠を兼ねた居酒屋を指し、十八世紀以降は都市部の歌唱酒場を意味するようになった。1881 年にロドルフ・サリ(Rodolphe Salis)がパリ・モンマルトルに開業した「ル・シャ・ノワール」(Le Chat Noir, 黒猫)が芸術家サロンを兼ねた近代キャバレーの嚆矢とされ、以後ヨーロッパ各国へと広まった。

日本における「キャバレー」の語の使用は、戦後 GHQ 統治下において進駐軍向けナイトクラブの呼称として一般化したものであり、戦前のダンスホールを直接の語源的継承関係には置かない。ただし業態としての連続性は明確であり、戦前ダンスホールの経営者・楽士・ダンサーが戦後キャバレーへ移行した事例が多数記録されている。

戦前期――ダンスホールの時代(1920年代–1940年)

ダンスホールの輸入

大正末期から昭和初期にかけて、日本の都市部にはダンスホールが相次いで開業した。1920 年(大正 9 年)頃、横浜・神戸の外国人居留地でダンス教習が始まり、1923 年(大正 12 年)の関東大震災後の復興期には東京・銀座、大阪・道頓堀等の盛り場にダンスホールが進出した。代表的な施設として、東京の「日米ダンスホール」「フロリダ・ダンスホール」、大阪の「ユニオン・ダンスホール」「赤玉キャバレー」等が挙げられる。これらは女性ダンサー(「ダンサー」「ダンスホール・ガール」と呼ばれた)を雇用し、客はチケット制で一曲ごとにダンサーと踊る形式が主流であった。

モダニズムと風紀問題

大正末期から昭和初期のダンスホールは、ジャズ音楽・洋装・ハイヒール・断髪等のモダニズム文化と結びつき、当時の「モダン・ガール」「モダン・ボーイ」(モガ・モボ)現象の象徴的空間となった要出典。同時に当局からは「風紀紊乱」の温床として警戒され、1927 年(昭和 2 年)の警視庁通達以降、警察による営業時間規制・服装規制・男女接近度合いの取り締まりが強化された。1937 年(昭和 12 年)の日中戦争勃発後は時局統制が厳しくなり、1940 年(昭和 15 年)10 月 31 日をもって全国のダンスホールが閉鎖されるに至った。この日は「ダンスホール最後の日」として後年の文芸作品にも描かれている(獅子文六、坂口安吾ら)。

占領期――進駐軍キャバレーの登場(1945–1952)

RAA から進駐軍クラブへ

1945 年(昭和 20 年)8 月の敗戦直後、内務省主導で特殊慰安施設協会(RAA)が発足し、占領軍兵士向けに性的サービスを含む慰安施設が組織された。RAA は 1946 年 1 月の GHQ による公娼制度廃止指令(SCAPIN-642)を機に解体されたが、これと前後して占領軍兵士の余暇を健全な娯楽空間に誘導する政策的意図のもと、ダンス・酒・食事を提供する「キャバレー」が各地に新設された。東京・有楽町の「オアシス・オブ・ギンザ」、横浜の「クリフサイド」、神戸の「キング・オブ・キングス」等が代表的であり、これらは進駐軍兵士の専用施設として運営された。

日本人向けキャバレーへの開放

1949 年(昭和 24 年)前後から、進駐軍向け施設の一部が日本人客にも開放されるようになり、ここに戦後型「キャバレー」業態の原型が形成された。占領期に育成されたバンドマン・ダンサー・ホステス層は、占領終結後の独立日本においてキャバレー文化の担い手となっていった。同時期のカストリ文化とも文化的に隣接しつつ、より中産階級的・サラリーマン的な享楽空間として位置づけられていったのが特徴である。

高度成長期――キャバレー全盛期(1950年代–1960年代)

グランドキャバレーの興隆

1952 年(昭和 27 年)のサンフランシスコ講和条約発効による占領終結を経て、1950 年代後半から 1960 年代にかけて、いわゆる「グランドキャバレー」と呼ばれる大型業態が全国の都市に展開した。一店舗で数百名規模の客を収容し、専属バンド(「ハコバン」と呼ばれた)による生演奏、専属ダンサーによるショー、ストリップティーズ、歌手の歌唱ショーを連続的に提供する構成が標準となった。

代表的なチェーンとして、東京の「ハリウッド」(銀座・新宿・池袋・浅草等に展開)、「東京クラブ」「ニューラテンクォーター」、大阪の「メトロ」「ユニバース」、福岡の「月世界」、札幌の「ニューハマナス」等が知られる。とりわけ赤坂の「ニューラテンクォーター」(1959 年開業)は、内外の一流芸能人の出演で知られ、後年の力道山刺殺事件(1963 年 12 月 8 日)の現場としても歴史に名を残した。

サラリーマン文化の象徴

高度経済成長期のキャバレーは、ボーナス支給後の会社員や接待での利用を主軸とし、月給取り階層の「ハレ」の消費空間として機能した。「ボーナスキャバレー」「忘年会キャバレー」といった社会現象が生じ、税制上の交際費課税のあり方と連動して経済史的考察の対象ともなっている。映画・歌謡曲・テレビドラマにおいてもキャバレーは頻出する舞台装置となり、植木等主演の「無責任」シリーズ、フランク永井「有楽町で逢いましょう」(1957 年)、フランキー堺主演の社長シリーズ等に当該文化の風俗が描き込まれた。

ショー・ビジネスとの結合

全盛期のキャバレーは、ジャズ・ハワイアン・ラテン音楽等の生演奏空間としても重要であり、後年に大成する歌手・楽士の多くがキャバレー出演を出発点とした。美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみのいわゆる「三人娘」、フランク永井、松尾和子、和田弘とマヒナスターズ等は、いずれもキャバレー興行と歌謡曲市場の境界に立つ存在であった。同時に米軍キャンプ巡業から日本のジャズ界に参入した楽士たち(秋吉敏子、渡辺貞夫ら)にとって、キャバレーは恒常的な就労機会を提供する経済基盤であった要出典

衰退とキャバクラへの転換(1970年代–1990年代)

大型店舗の縮小

1970 年代以降、キャバレー文化は徐々に衰退期に入った。要因としては、(一)生バンド維持コストの上昇、(二)カラオケ機器の普及による生演奏需要の縮小、(三)スナック・ホストクラブ・ディスコ等の新業態の興隆、(四)大型店舗の維持に必要な人員確保の困難化、等が挙げられる。1973 年(昭和 48 年)の第一次オイルショックを境に企業の交際費支出が抑制されたことも、サラリーマン需要に依存していたキャバレー業態に直接的打撃を与えた。

キャバクラ業態の登場

1980 年代に入ると、ステージ・ショーを廃し、女性従業員の接待のみに特化した小型店舗「キャバクラ」(キャバレー+クラブ)業態が登場した。1985 年(昭和 60 年)頃から東京・歌舞伎町を中心に急速に展開し、生演奏とショーを核としたキャバレー文化は、若年層の女性従業員と短時間料金制を軸とする現代型キャバクラ文化へと置換されていった。さらに 1990 年代以降は、男性従業員が女性客を接待するホストクラブ文化が並行的に拡大し、夜の盛り場の業態構成は大きく変化した。

残存と再評価

2000 年代以降、グランドキャバレー業態の店舗は全国で急減したが、大阪・京橋の「グランドシャトー」(1968 年開業、2024 年閉店)、神戸の「クラブ・ハリウッド」、北九州・小倉の「グランドサロン十三夜」等が老舗キャバレーとして長く営業を続けた。これらは昭和の風俗を偲ぶ「レトロ空間」として、近年は若年世代やインバウンド観光客からの再評価の対象ともなっている。学術的にも 1990 年代以降、永井良和・神崎宣武らによる盛り場文化史研究の中で、キャバレーは戦後庶民文化の重要な構成要素として再検討されている。

海外のキャバレー文化との比較

パリ・モンマルトル系

十九世紀末のパリにおいて、ロドルフ・サリの「ル・シャ・ノワール」(1881 年)、シャルル・ジドラーらの「ムーラン・ルージュ」(1889 年開業)等が興り、シャンソン・カンカン踊り・寸劇を融合した近代キャバレーの源流を形成した。アリスティド・ブリュアン、トゥールーズ=ロートレック等の芸術家がキャバレー文化と密接に関わり、ベル・エポック期のパリ文化の象徴ともなった。日本のキャバレーが大衆向け接待業として大型化したのに対し、フランスのキャバレーは芸術・諷刺との結合を保持した点に違いがある。

ヴァイマル期ベルリン系

第一次世界大戦後のヴァイマル共和政期(1919–1933)のベルリンでは、政治諷刺・性的解放・前衛芸術の交差点としてキャバレー文化が爆発的に展開した。「カデコ」(Kabarett der Komiker)等が代表的であり、ベルトルト・ブレヒトやクルト・ヴァイルの活動とも結びついた。この時期のキャバレー文化は、クリストファー・イシャーウッドの自伝的小説『さらばベルリン』(Goodbye to Berlin, 1939 年)、およびそれを翻案したミュージカル映画『キャバレー』(Cabaret, 1972 年、ボブ・フォッシー監督)を通じて、キャバレーのイメージを世界的に流通させる役割を果たした。ナチス政権成立(1933 年)とともに退廃芸術として弾圧され、当該文化は崩壊した。

比較考察

海外のキャバレーが小規模・芸術志向・諷刺性を保持したのに対し、日本のキャバレーは(一)大型化、(二)接待業との融合、(三)サラリーマン階層を主顧客とする消費空間化、という方向で独自に発展した。これは戦後日本の経済成長と企業文化、ならびに「水商売」と総称される女性労働市場の歴史的形成と不可分の関係にある。

文化的言及

キャバレーは戦後日本の映画・歌謡曲・文芸作品に頻出し、庶民文化の象徴として描かれてきた。映画では成瀬巳喜男『流れる』(1956 年)、川島雄三『幕末太陽傳』(1957 年)等に夜の街の業態として描写され、社長シリーズや「無責任」シリーズではサラリーマンの遊興空間として機能した。歌謡曲においてはフランク永井「東京ナイト・クラブ」(1959 年、松尾和子とのデュエット)、青江三奈「伊勢佐木町ブルース」(1968 年)、ザ・ピーナッツ「東京の女」(1962 年)等にキャバレーの夜が描かれ、当該文化と都市消費の結びつきを示す史料となっている要出典

文学では石原慎太郎『太陽の季節』(1955 年)、三島由紀夫『鏡子の家』(1959 年)、五木寛之『青春の門』(1969–1973 年連載)等にキャバレーが描かれ、戦後青年の通過儀礼的空間としての側面が示された。海外文学・映画では前述のイシャーウッド/フォッシー作品のほか、フェデリコ・フェリーニ『道』(La Strada, 1954 年)、ロバート・アルトマン『ゴスフォード・パーク』周辺等に欧州キャバレー文化の残響が認められる。

関連項目

  • キャバクラ — キャバレー業態の縮小化・接待特化型として 1980 年代以降に展開した後継業態。
  • ストリップショー — キャバレーの主要な舞台演目のひとつで、戦後の専門劇場文化と並行的に展開した。
  • 戦後の性文化 — キャバレー文化を内包する戦後性風俗・大衆文化の通史的枠組み。
  • カストリ文化 — 占領期から 1950 年代の大衆性風俗文化として、キャバレー文化と隣接した時代背景を共有する。
  • ホストクラブ — 男性従業員による女性客接待業態。1980 年代以降、夜の盛り場の構成を変容させた並行業態。

参考文献

  • 永井良和『ダンスホールと日本の近代――踊る大東京』青弓社、1991 年。
  • 永井良和『風俗営業取締法から風営法へ』講談社現代新書、2002 年。
  • 神崎宣武『盛り場の民俗史』岩波新書、1993 年。
  • 中村淳彦『戦後ホステス物語』宝島社、2014 年。
  • 斎藤茂男『夜の銀座史』現代書館、1985 年。
  • ジル・サン=ジェルマン著『キャバレー――歴史的考察』白水社、2008 年。
  • John W. Dower, Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II, W. W. Norton, 1999.
  • Peter Jelavich, Cabaret: A Roman Polanski Film and the Weimar Imaginary, Harvard University Press, 1993.

参考文献

  1. 永井良和 『ダンスホールと日本の近代――踊る大東京』 青弓社 (1991)
  2. 斎藤茂男 『夜の銀座史』 現代書館 (1985)
  3. 中村淳彦 『戦後ホステス物語』 宝島社 (2014)
  4. ジル・サン=ジェルマン 『キャバレー――歴史的考察』 白水社 (2008)
  5. Dower, John W. 『Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II』 W. W. Norton (1999)
  6. 神崎宣武 『盛り場の民俗史』 岩波新書 (1993)
  7. 永井良和 『風俗営業取締法から風営法へ』 講談社現代新書 (2002)
  8. Jelavich, Peter 『Cabaret: A Roman Polanski Film and the Weimar Imaginary』 Harvard University Press (1993)

別名

  • キャバレー史
  • キャバレー
  • cabaret
  • cabaret culture
  • Japanese cabaret
続けて読まれたエロ単語 Ero Words

AVバブル えーぶいばぶる / eebuibaburu

歴史・文化

江戸の性文化 えどのせいぶんか / edonoseibunka

歴史・文化

五条楽園 ごじょうらくえん / gojourakuen

歴史・文化

平安朝の性 へいあんちょうのせい / heianchounosei

歴史・文化

混浴 こんよく / konyoku

歴史・文化