ピンク映画黄金期
ピンク映画黄金期(ぴんくえいがおうごんき)とは、1962 年(昭和 37 年)の小林悟監督『肉体の市場』を起点とし、概ね 1980 年代初頭に至る約 20 年間を指して、独立系成人映画ジャンルすなわちピンク映画が量的・質的双方において最も隆盛を極めた日本映画史上の固有の局面を指す概念である。年間制作本数の最盛期記録、専門上映館網の全国規模での確立、そして若松孝二・神代辰巳・田中登・大島渚・寺山修司らに代表される作家群の集中的輩出という、複合的な指標によって画定される時期区分であり、戦後日本映画史において斜陽化するメジャー五社体制と並走しつつ、独立系・低予算・成人指定という三重の制約条件下で前衛的・実験的映像表現を可能にした稀有な制作環境として記述される要出典。
概要
「黄金期」(英: golden age)の語は、特定のジャンル・産業・文化形態が量的拡大と質的成熟を同時的に達成した歴史段階を遡及的に呼称する映画史的概念である。ピンク映画における黄金期の画定は論者によって幅があるが、起点については 1962 年の『肉体の市場』公開を採用する見解が支配的であり、終点については 1971 年の日活ロマンポルノ路線開始をもって第一期の終わりとする見方、あるいは 1980 年代初頭の家庭用ビデオデッキ普及とアダルトビデオ(AV の歴史)台頭をもって全期の終わりとする見方が並立する。
本項では、1962 年から 1980 年代初頭までの約 20 年間を広義の黄金期と捉え、その内部を黎明期(1962–1965)、第一次成熟期(1966–1971)、ロマンポルノ並立期(1971–1980)、衰退への移行期(1980–1983)に区分して記述する。
語源・呼称
「ピンク映画」の語は 1963 年頃の新聞記事(『内外タイムス』記者・村井実による命名説が有力)に発し、独立系プロダクションによる成人映画ジャンルの呼称として広く流通した要出典。「黄金期」(またはピンク黄金時代、ピンク全盛期)の呼称は、1980 年代以降の批評・回顧言説において事後的に確立した時期区分であり、四方田犬彦・藤木 TDC・鈴木義昭らによる映画史記述において継続的に用いられる学術的術語である。
英語圏では「golden age of pink films」「golden era of Japanese sex cinema」等の語が、ジャスパー・シャープ(Jasper Sharp)『Behind the Pink Curtain』(2008)以降の研究において定着している。
歴史
黎明期(1962–1965)
1962 年 3 月公開の『肉体の市場』(小林悟監督・大蔵映画製作)は、独立系プロダクションによる成人映画の本格的商業上映の起点に位置づけられる。タイトルは、当時の都市部における身売り・売春問題を題材としつつ、性表現を前景化した初期ピンク映画の典型的構造を示した。
1963 年から 1964 年にかけて、新東宝興業(旧新東宝の倒産後に再編された配給会社)、北星映画、関東ムービー、国映等の独立系プロダクションがピンク映画製作に相次いで参入し、年間制作本数は急速に増加した。同時期に新宿・池袋・浅草・川崎等の繁華街において、ピンク映画専門の上映館(成人映画館)が成立し、3 本立て・60–70 分上映・低料金という興行形態が標準化された。
第一次成熟期(1966–1971)
1965 年の若松プロダクション設立を画期として、ピンク映画は単なる商業的成人映画から作家性を伴う制作領域へと展開した。若松孝二監督による『壁の中の秘事』(1965)は、第 15 回ベルリン国際映画祭への出品をめぐって「国辱映画」論争を惹起し、ピンク映画の社会的可視性を一挙に高めた象徴的事件として記録される。
続いて『胎児が密猟する時』(1966)、『犯された白衣』(1967、リチャード・スペックによる看護師連続殺人事件を題材とする)、『ゆけゆけ二度目の処女』(1969)等の若松作品群が、政治的暴力・実存的不安・性的他者性といった主題を成人映画の枠内で展開した。脚本家として足立正生が若松プロダクションに参加し、後に『性遊戯』(1968)等を監督した。
並行して、大島渚『白昼の通り魔』(1966)・『日本春歌考』(1967)、寺山修司『書を捨てよ町へ出よう』(1971)、新藤兼人『鬼婆』(1964)らの作品群が、ピンク映画ないしその隣接領域(ATG=アート・シアター・ギルド配給作品)において制作され、ヌーヴェルヴァーグ的・前衛的映像表現がジャンル内部に持ち込まれた。
ロマンポルノ並立期(1971–1980)
1971 年 11 月、経営危機に瀕した大手映画会社・日活が成人映画路線(日活ロマンポルノ)に転換し、メジャー資本による成人映画制作が開始された。ロマンポルノの開始は、ピンク映画市場に対し市場縮小と人材流出という二重の影響をもたらしたが、同時に独立系ピンク映画はより尖鋭な作家性へと特化することで、両者は競合的かつ相互補完的な関係を形成した。
ロマンポルノ側では、神代辰巳『一条さゆり 濡れた欲情』(1972)・『四畳半襖の裏張り』(1973、刑法 175 条違反で起訴された四畳半襖の下張事件と同名)、田中登『実録阿部定』(1975)、曽根中生『天使のはらわた 赤い教室』(1979)等の作品が、低予算・短期間という制約下で作家主義的成果を結実させた。神代辰巳は、ピンク映画期からロマンポルノ期にかけて活動した代表的作家として、戦後日本映画史において固有の地位を占める。
独立系ピンク映画側では、小水一男(別名:ガイラ)、向井寛、渡辺護、山本晋也らが継続的に作品を発表し、より低予算・より自由な題材選択を維持した。1970 年代後半の年間制作本数は、両者合わせて 200 本を超える時期もあったとされる要出典。
衰退への移行期(1980–1983)
1975 年の家庭用ビデオデッキ(VHS / Betamax)発売、1981 年の日本ビデオ倫理協会設立、1982 年頃のアダルトビデオ(AV)市場本格化という連続する技術的・産業的変容は、映画館での成人映画鑑賞という消費形態そのものを根底から脅かした。1980 年代初頭、ピンク映画専門館は全国規模で減少を始め、同時にロマンポルノの制作本数も漸減局面に入った。
1988 年の日活ロマンポルノ正式終了をもって、本格的なメジャー資本による成人映画制作は終焉を迎え、ピンク映画も規模を大幅に縮小しつつ存続することとなった。1990 年代以降の「ピンク四天王」(佐藤寿保・瀬々敬久・佐野和宏・サトウトシキ)による継続的活動は、黄金期の終焉後における残光局面として位置づけられる。
主要監督群
若松孝二(1936–2012)
ピンク映画黄金期を代表する作家。前述の若松プロダクションを拠点として、政治的・社会的主題と性表現を結合させた作品群を発表し、後年は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007)等の劇場用一般映画でも国際的評価を獲得した。
神代辰巳(1927–1995)
ピンク映画期およびロマンポルノ期にまたがって活動した代表的作家。長回しと即興的演技演出を特徴とし、性表現と日常性の融合という独自の作風を確立した。
田中登(1937–2006)
日活出身でロマンポルノ期に活躍。『実録阿部定』(1975)等で犯罪史的題材を性表現と結合させる作風を示した。
小水一男(1945–2011)
ガイラ名義で独立系ピンク映画の現場を支えた俳優・監督。低予算制作の機能美を体現する作家として、現場叩き上げ型のピンク映画作家像を代表する。
その他
足立正生、向井寛、渡辺護、武智鉄二、藤井克彦、曽根中生、池田敏春、加藤彰らも、当該期に重要な作品群を発表した。
ピンク映画専門館
黄金期のピンク映画は、専門の成人映画館における 3 本立て興行を主たる流通形態とした。新宿国際劇場、池袋日勝、浅草世界館、上野東京クラブ、川崎ムービー新世界等の主要館を中心として、最盛期には全国に 200 館を超える専門上映館が存在したとされる要出典。藤木 TDC『東京地下迷宮――まぼろしのピンク映画館を探して』(2014)は、これらの上映館の盛衰を地誌学的に記録した文献として知られる。
文化的言及・評価
ピンク映画黄金期の作品群は、1990 年代以降の批評・研究において再評価が進行している。四方田犬彦は『日本映画史 4 1960-1995』(2014)において、ピンク映画を 1960–70 年代日本映画の主要な流派として記述し、メジャー映画体制との並走関係を強調した。海外では、シャープ『Behind the Pink Curtain』(2008)が英語圏における体系的研究の嚆矢となり、若松孝二・神代辰巳作品の国際的回顧上映が継続的に開催されている。
一方で、黄金期作品における女性表象、性暴力描写、合意なき性関係の演出等については、近年のジェンダー・スタディーズおよびポストコロニアル映画研究の観点から批判的再検討が行われており、単純な作家主義的称揚にとどまらない複眼的評価が要請されている。
関連項目
参考文献
- 鈴木義昭『ピンク映画水滸伝――その二十年史』国書刊行会、1983 年
- 四方田犬彦『日本映画史 4 1960-1995』岩波書店、2014 年
- 藤木 TDC『東京地下迷宮――まぼろしのピンク映画館を探して』ちくま文庫、2014 年
- 松島利行『日活ロマンポルノ全史』ワイズ出版、2000 年
- Sharp, Jasper. Behind the Pink Curtain: The Complete History of Japanese Sex Cinema. FAB Press, 2008.
- 白井佳夫『映画とは何か――白井佳夫対談集』現代書館、1979 年
- 国友隆一『ピンク映画 闘いの三十年』ワイズ出版、1992 年
参考文献
- 『ピンク映画水滸伝――その二十年史』 国書刊行会 (1983)
- 『日本映画史 4 1960-1995』 岩波書店 (2014)
- 『東京地下迷宮――まぼろしのピンク映画館を探して』 ちくま文庫 (2014)
- 『日活ロマンポルノ全史』 ワイズ出版 (2000)
- 『Behind the Pink Curtain: The Complete History of Japanese Sex Cinema』 FAB Press (2008)
- 『映画とは何か――白井佳夫対談集』 現代書館 (1979)
- 『ピンク映画 闘いの三十年』 ワイズ出版 (1992)
別名
- ピンク映画史
- ピンク映画黄金時代
- Pink film golden age
- golden age of pink films