ストリップとは、女性出演者が舞台上で順次衣装を脱いでいく形式の舞台興行であり、戦後日本において独立した芸能ジャンルとして発達した文化形態である。
ストリップ(英: strip show、striptease)は、出演者が舞台上で身に纏った衣装を順次脱いでいくことを中核演出とする舞台興行の一形態である。日本では戦後の 1947 年(昭和 22 年)を起点として急速に発達し、最盛期には全国の主要都市に専門劇場が設けられた。家庭用映像メディアの普及とともに大幅に縮小したが、現代も少数の劇場が伝統を継承して営業を続けている。本項では戦後日本におけるストリップの成立、最盛期、衰退、海外との比較を扱う。
概要
ストリップは、舞台と観客が向き合う形式の生身の興行である。出演者(踊り子)は音楽に合わせた振り付けで衣装を脱いでいき、最終的に裸体に近い状態に至るまでが一つの演目を成す。日本のストリップは演劇的要素・舞踊的要素・芸能的要素を重視する点で、欧米のいわゆる striptease やバーレスクとは異なる独自の発達を遂げた。
舞台上の演出は、踊り子の身体表現・衣装変化・舞台美術・照明・音楽の総合芸術的構成を取り、特定の物語的設定(芸者・舞妓・看護師・OL 等)を伴うことが多い。一定の年齢制限の下で運営され、風営法上の特殊興行として位置づけられる。
起源
戦後日本の起点
日本のストリップ史は、1947 年 1 月、東京・新宿の帝都座五階劇場での「額縁ショー」を起点とすると一般に解される。同公演は秦豊吉演出により、額縁の枠の中で女性出演者が一定時間静止する形式で、絵画的な裸体表現を行うものであった。当該時期、占領軍検閲の下で「裸体は美術的・芸術的文脈であれば許容される」という理解が普及しており、額縁ショーは「絵画・彫刻と同等の美術的展示」として位置づけられた。
額縁ショーから動的なストリップ興行への移行は、1948 年から 1950 年代初頭にかけて段階的に進行した。当初の静止型展示から、音楽・舞踊を伴う演技型ショーへと、表現形態が拡張された。
戦前期の前史
戦前期の日本にも、レビュー・ヌードショーの萌芽形態は存在した。浅草のオペラ館を中心とする 1920 年代のレビュー文化、外国人ダンサーの来日公演などが、後年のストリップの直接的前史を成す。ただし戦前期の表現規制下では、衣装を脱ぐ行為そのものを中核とする興行形式は成立せず、戦後の規制緩和を待って独立ジャンルとして発達した。
発達と最盛期
1950 年代
1950 年代前半、東京・大阪を中心にストリップ劇場が次々と開場し、専門の踊り子が活動を開始した。浅草のロック座(1947 開業)、新宿のトーアシアター、大阪のミナミ・梅田の劇場などが、当該時期のストリップ文化の中心地として機能した。
野坂昭如をはじめとする文学者がストリップを文学的題材として取り上げ、戦後文化の一側面として記録した要出典。俳優・大衆芸能研究者であった小沢昭一もストリップ劇場との関わりを持ち、戦後の大衆芸能との交差が記録されている。
1960–1970 年代
最盛期とされる 1960 年代後半から 1970 年代には、全国に 200 軒以上のストリップ劇場が営業していたとされる要出典。地方都市の駅前にも専門劇場が存在し、地域興行として根付いていた。当該時期、各劇場は専属踊り子を擁し、踊り子は全国の劇場を巡業する形態が一般化した。
舞台演出の高度化が進み、複雑な舞台装置・特殊効果・音楽・物語的構成を備えた大規模ショーが制作された。一方、より直接的な裸体表現を主とする小規模劇場も並存し、興行形態の多様化が進んだ。
衰退
1980 年代以降、家庭用ビデオデッキの普及とアダルトビデオの出現により、ストリップ劇場は急激に客足を減らした。映画館でのピンク映画・ロマンポルノの衰退と並行して、生身の興行であるストリップも、家庭で享受できる映像メディアに対する競争上の劣位に立たされた。
1990 年代から 2000 年代にかけて、地方都市のストリップ劇場が次々と閉場し、現存する劇場数は最盛期の十分の一以下に減少した。現代では全国に営業を継続する専門劇場は十数軒にとどまるとされる要出典。
法的位置づけ
ストリップは、風営法上の「特定遊興飲食店営業」または「店舗型性風俗特殊営業」として規制を受ける。1948 年の同法制定以降、各都道府県の公安委員会の許可を要する興行として位置づけられている。
露出の程度については、各劇場・地域の慣習および公安当局の指導により事実上の基準が形成されている。完全な裸体露出を行う場合、公然わいせつ罪の適用を受ける可能性があり、過去に複数の摘発事例が記録されている。
海外との比較
英語圏の striptease、フランスの strip-tease、ラテンアメリカの cabaré など、各国に類似のジャンルが存在する。米国の burlesque は、ストリップを含む総合的舞台芸能の一形態として、20 世紀前半から発達した。フランス・パリのムーラン・ルージュ、リドなどのキャバレーは、観光的興行としての revue の伝統を持つ。
日本のストリップは、これら海外のジャンルと比較して、舞踊的・物語的構成を重視する点、専門的踊り子による職業的訓練を伴う点、専門劇場での独立興行として運営される点に独自性が指摘される。
文化史的意義
ストリップは、戦後日本の大衆芸能・身体文化・性表現の交点に位置する文化現象として、社会史・芸能史の研究対象となっている。当該興行に出演した踊り子の中には、その後映画・テレビ・芸能界で活躍する者も多く、戦後芸能史との連続性を持つ領域である。
近年、文化的記憶の保存の観点からドキュメンタリー映画の制作、研究書の刊行、現存劇場の文化遺産的位置づけの検討などが進行している。一方、踊り子の労働条件・社会的位置・人権上の問題については、批判的観点からの研究も継続している。
関連項目
参考文献
- 『ストリップの帝王―戯曲とエッセイ』 新潮社 (1980)
- 『ストリップ・ファイル―日本のストリップ史』 白川書院 (1976)
- 『Striptease: The Untold History of the Girlie Show』 Oxford University Press (2004)
- 『風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律』 法律 第122号 (1948) — 通称・風営法
別名
- ストリップ
- ストリップショー
- 脱衣舞踊
- strip show
- striptease