四十八手
四十八手(しじゅうはって)とは、江戸期において体系化された性交体位および性技四十八種の総称である。相撲の決まり手を数える語形を借用して成立した呼称であり、菱川師宣『恋のむつごと四十八手』(1670 年代)を起点に、艶本・春画の領域で体位分類体系として機能した。後世においては、固有名を伴う体位群の総体として近世日本の性表象に類型的枠組を残し、現代の性愛文化に至るまで参照され続けている。
概要
四十八手は、性交時における身体配置・運動・接触様態の差異に固有名を与え、それらを四十八項目前後に整理した近世日本の体位分類体系である。各体位は「茶臼」「松葉崩し」「観音開き」「本手」「しがらみ」「網引き」など固有の名称をもち、それぞれ画題として春画に描かれ、また艶本の文章解説に詳細な所作が記された。
「四十八」という数は厳密な実数ではなく、相撲の決まり手の古来の数(伝統的に四十八手と称された)に擬えた象徴的数詞である。実際の艶本における体位数は刊本ごとに異同があり、四十八に満たないもの、五十を超えるもの、別篇を併収して百を超えるものなど、揺れが大きい。林美一『江戸艶本研究』は、四十八手の語を「江戸艶本における体位図譜の総称的な看板表現」と位置づけている要出典。
四十八手は単なる体位カタログにとどまらず、各体位に文学的・諧謔的な含意を与え、和歌・俳諧・川柳の素材としても流通した。江戸期の性文化が「笑い絵」「祝言」「遊廓文化」と地続きの遊芸として機能していたことを示す代表的な事例である。
語源
「四十八手」(しじゅうはって)は、本来は相撲の決まり手の総称である。日本相撲の伝統において、四十八手は古くから決まり手の象徴的数として用いられ、室町期以降の相撲書において「投げ手」「掛け手」「捻り手」「反り手」の四種に各十二手を配した分類が成立した。江戸期の相撲文化の興隆とともに「四十八手」の語は広く流通し、そこから他領域への借用が進んだ。
性技に関する四十八手の名は、菱川師宣の春画図譜『恋のむつごと四十八手』(1670 年代頃)を起点とするのが定説である。相撲の決まり手の数を性交体位に擬える命名は、武術的な技の体系化と性愛の所作とを並列に置く諧謔の操作であり、近世日本の遊芸的世界観を端的に表現している。同様の借用は「酒の四十八手」(酒席の作法)、「商売の四十八手」(商人の駆け引き)などにも見られ、「四十八手」は技芸一般の総称的修辞として汎用化していた。
英語圏には四十八手に直接対応する語はなく、現代の英訳では forty-eight hands あるいは forty-eight positions と直訳されることが多い。中国の性技書『素女経』『玉房秘訣』に見られる体位分類とはおおむね独立に成立した体系であり、インドの『カーマスートラ』との類似も後述するように形式上のものにとどまる。
歴史
菱川師宣と四十八手の成立
四十八手の体系を最初に明示的に「四十八手」と銘打って提示したのは、江戸前期の絵師・菱川師宣(1618-1694)である。師宣の『恋のむつごと四十八手』は、各体位を一図ずつ画き、それに短い詞書を添えた図譜形式の艶本で、後世の艶本における四十八手の典拠として位置を占めた。師宣はそれ以前にも『恋の極み』『色道日々草』など多数の艶本を制作しており、浮世絵草創期における体位図譜の形式そのものを彼が定型化したと考えられている。
師宣の四十八手では、本手(対面正常型)、茶臼(対面騎乗型)、松葉崩し、しがらみ、網引き、立ち花菱、首引き恋慕、しめ込み、後ろ取り、寝取り、宝船、達磨返しなど、後世の四十八手の中核を成す名称がすでに現れている。各体位の名称は、自然物(松葉、宝船)、相撲技(寝取り、達磨返し)、衣服・道具(網、しがらみ)、感情(恋慕、首引き)など多様な源泉から取られ、命名の一貫した原理よりも諧謔的多様性を旨としている。
鈴木春信・歌麿・北斎・国貞の展開
師宣以後、四十八手は江戸の主要な浮世絵師たちが繰り返し取り上げる画題となった。鈴木春信(1725-1770)の『風流座敷八景』、鳥居清長(1752-1815)の『袖の巻』(1785)、喜多川歌麿(1753-1806)の『歌まくら』(1788)、葛飾北斎(1760-1849)の『喜能会之故真通』(1814)、歌川国貞(1786-1865)の『艶紫娯拾餘帖』など、近世後期の艶本群はいずれも四十八手系の体位を中核に据えた。
各絵師の作風により、四十八手の図像表現には大きな差異がある。歌麿は被挿入側の表情・髪・衣装の細部を極端に美化する画風で、四十八手の各体位を女性身体の理想像の展示舞台として用いた。北斎は身体配置の幾何学的構成を強調し、画面内の身体・衣装・襖・畳の線を装飾的に組織する画風を取った。国貞は群像構成と物語性を強め、四十八手を主題とする多人数の艶本を多数制作した。林美一の『江戸艶本研究』は、これら絵師ごとの四十八手の絵画的差異を詳細に分析している。
山東京伝と洒落本における転用
寛政期(1789-1801)に至ると、四十八手の語は艶本の領域を越え、洒落本(吉原を題材とする会話体小説)の領域に転用された。山東京伝『傾城買四十八手』(1790)は、遊廓における客と遊女の駆け引きを「四十八手」の枠組で叙述する作品で、ここでの「手」は性交体位ではなく、客の接客戦略・遊女の応接技法を指す。京伝のこの転用は、四十八手が江戸期において「技芸一般の体系的列挙」を意味する修辞として広く流通していたことを示す好例である。
幕末・明治の縁辺化
幕末から明治初期にかけて、欧米のヴィクトリア朝的性規範の流入と出版統制の強化により、艶本・春画の生産は急速に縁辺化された。1875 年の出版条例、1880 年の旧刑法における猥褻物頒布罪の整備により、四十八手を主題とする艶本は地下化し、近代以降は古書市場・好事家の蒐集対象として残存した。明治・大正期の性教育・医学翻訳の領域においては「対面正常位」「女性上位」「側位」といった近代用語が学術文脈を占め、「四十八手」は古典的・大衆的な用語として周辺化した。
名称体系と分類
主要体位の名称
江戸艶本に頻出する四十八手の主要体位として、次のものが挙げられる。本手(対面正常型、現代の正常位の祖)、茶臼(対面騎乗型、現代の騎乗位に相当)、松葉崩し(被挿入側の片脚を高く挙げる側位的形態)、観音開き(両脚を大きく広げる対面型)、しがらみ(両脚を絡める形態)、網引き(挿入側が被挿入側の腰を引き寄せる動作型)、立ち花菱(立位)、後ろ取り(背面型)、達磨返し(被挿入側を仰向けにして両脚を上げる形態)、首引き恋慕(両者が頸部に触れ合う密着型)、宝船(両者が並列して横臥する形態)。
これらの体位名は、自然物・道具・所作・感情・建築・植物など多源の語彙から取られ、ひとつの命名原理に還元できない。林美一はこれを「江戸艶本における命名の遊芸性」と呼んでいる要出典。
系統的分類の試み
近代以降の研究者は、四十八手の諸体位を身体配置の幾何学的特徴により系統的に分類する試みを続けてきた。一般的な分類軸は次のようなものである。第一に、両者の身体軸の関係(対面/背面/側面/逆向)。第二に、上下関係(挿入側上位/被挿入側上位/対等)。第三に、姿勢(臥位/座位/立位/蹲踞位)。第四に、運動方向(前後動/上下動/旋回動/静止)。
四十八手の体位群はこれらの軸の組合せにより記述可能であるが、江戸期の命名は身体運動学的特徴を必ずしも一義的に反映しないため、現代的な体位分類との完全な対応は困難である。同じ体位が艶本ごとに異なる名で呼ばれる例、あるいは同じ名が異なる体位を指す例も少なくない。
動作型と静止型
四十八手の体位は、静的な身体配置を指すものと、特定の動作・所作を指すものとに大別できる。前者の典型は本手・茶臼・松葉崩しなどで、身体の幾何学的配置が名称の中核を占める。後者の典型は網引き・しめ込み・達磨返しなどで、身体運動のリズムや所作が名称の中核を占める。江戸艶本の図譜は、静的な瞬間の図像化を旨としつつ、詞書において動作の連続を描写することで、静止画と動作の双方を伝達した。
春画における四十八手の視覚表現
春画は、四十八手の各体位を画題として最も豊穣に展開した媒体である。1 図 1 体位の図譜形式、複数の体位を画面内に併置する群像形式、物語的場面の中に四十八手を埋め込む叙事形式など、多様な形式が試みられた。
歌麿の『歌まくら』(1788)は四十八手を題材とする艶本の頂点とされ、各図において衣装・髪・小物・背景の細部までが緻密に描き込まれている。各場面には登場人物の発する言葉が画面内に書き込まれ、性の場面における対話・冗談・諧謔が画像と一体化して提示される。北斎の『喜能会之故真通』に含まれる「蛸と海女」は、四十八手の枠組から逸脱した幻想的体位として独立した名声を獲得しているが、同書全体としては四十八手の体系的展開を含む。
四十八手の春画は、性的喚起の機能だけでなく、嫁入り絵としての婚礼儀礼的機能、火事除け・武運長久の魔除け機能、商家の蔵開きの祝祭機能を併せ持っていた。この祝祭的・呪術的機能の存在が、四十八手を単なる「体位カタログ」を超える文化的体系として位置づける根拠となる。
後世への影響
近代以降の継承
明治・大正期に四十八手の語は古書市場と大衆風俗誌に存続し、戦後の性愛指南書・週刊誌の特集記事において繰り返し取り上げられた。昭和後期から平成期にかけて、江戸文化研究の隆盛と春画展の開催を背景に、四十八手は学術研究の対象としても再び注目された。白倉敬彦『春画の見方』(2008)は、現代読者に四十八手の枠組を平易に解説した代表的な仕事である。
現代 AV における引用
現代の成人映像作品においては、四十八手の名は「正常位」「騎乗位」「後背位」などの近代用語に置き換えられて流通しているが、企画作品・時代劇仕立て作品においては「茶臼」「松葉崩し」などの古典的体位名が固有名として参照される事例がある。江戸艶本の体位画像が現代作品の構図参照源として用いられる事例も、グラビア・同人誌・成人向け漫画の領域で散見される。
文学・サブカルチャーにおける引用
近代以降の文学作品においても、四十八手は江戸文化の象徴として繰り返し参照されてきた。永井荷風『つゆのあとさき』『濹東綺譚』は、近代化以後に縁辺化された江戸性文化への懐古的視線のなかで四十八手の語を遠景に配した作品である。現代のサブカルチャーにおいても、時代小説・歴史漫画・歴史考証エッセイなどで「江戸の四十八手」の名は頻繁に登場し、近世日本の性文化の象徴的記号として機能している。
国際比較
『カーマスートラ』との対照
インドの古典『カーマスートラ』(2 世紀から 4 世紀頃成立とされる)は、四十八手と同様に性愛技法を体系的に分類した文献として知られる。両者は性愛を体系的記述の対象とする点で共通するが、いくつかの重要な相違がある。
第一に、『カーマスートラ』はバラモン教的世界観における人生の四目的(法・利・愛・解脱)の一環として性を位置づける宗教哲学的な書であるのに対し、四十八手は近世日本の遊芸文化のなかで成立した世俗的な体位図譜である。第二に、『カーマスートラ』は性交体位だけでなく、求愛・婚姻・娼婦論など性愛全般を網羅する総合的論書であるのに対し、四十八手は体位分類に特化した枠組である。第三に、『カーマスートラ』の記述は文章中心で図像を伴わない原典であるのに対し、四十八手は絵師による図像化を本質的構成要素とする。
両者の体位の対応関係についても、形式的類似は見られるものの、命名原理・記述粒度・文化的位置づけが異なるため、一対一の対応は成立しない。林美一・坂本一房らは、四十八手とカーマスートラの直接的影響関係はおそらく存在せず、性愛技法の体系化への文化的志向が独立に各文明で生じた並行現象として位置づけるのが妥当としている要出典。
中国房中術との関係
中国の房中術文献(『素女経』『玉房秘訣』『洞玄子』など)は、養生思想と結びついた性技論として古くから成立しており、九法・三十法などの体位分類を含む。日本の四十八手成立以前から、これらの文献は朝鮮半島を経由して日本にも流入していた可能性があるが、四十八手の枠組と中国房中術の体位分類との直接的な接続は十分に立証されていない。江戸期の四十八手は、相撲文化と艶本文化の合流のなかで独立に成立した日本固有の体系として理解されるのが通説である。
関連項目
参考文献
- 『艶本研究』 河出書房新社 (1976) — 江戸艶本の体系的分類と書誌研究
- 『江戸艶本研究』 河出書房新社 (1988-1990) — 師宣・歌麿・北斎・国貞各篇
- 『春画の見方』 平凡社 (2008)
- 『江戸の春画』 洋泉社 (2002)
- 『性愛の文化史』 東京書籍 (1991)
- 『江戸の性風俗 笑いと情死のエロス』 講談社現代新書 (2002)
- 『恋のむつごと四十八手』 (1670年代) — 四十八手の名を冠する最古級の艶本図譜
- 『傾城買四十八手』 (1790) — 洒落本における四十八手の語の文学的転用例
別名
- 48手
- 四十八種
- 性技四十八手
- 江戸四十八手