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春画の歴史

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分類歴史・文化 用例春画の歴史は鳥羽絵の系譜から始まる」 「戦中に春画は失われ、戦後に海外で再発見された」 用法名詞・動詞 最終更新 ▸ 累計 PV

12 世紀末、京都の延暦寺の僧坊。鳥羽僧正と伝えられる絵師の手は、墨を含ませた筆を絹本の上に滑らせ、誇張された男根を抱える法師の戯画を描いていく。それは仏門の戒律を逆撫でする滑稽の表現でもあり、生命力の根源を笑いとともに肯定する民俗的感覚の残響でもあった。およそ六百年後、江戸の版元の店先には、菱川師宣が刻んだ墨摺の艶本が積まれ、町人の手から手へと渡っていく。さらに二百年後の 1945 年、東京大空襲の業火は、版木と肉筆春画を含む膨大な江戸文化の物質的痕跡を一夜にして焼き尽くした。本項では、こうした生成・隆盛・消失・再発見の長い波を、時代を追って描き出す。

春画の歴史(しゅんがのれきし)とは、日本における性的主題の絵画春画の通時的展開を指す概念である。平安末期の戯画的源流から、室町期の肉筆絵巻、江戸初期の菱川師宣による版本化、鈴木春信による錦絵期の到来、喜多川歌麿・葛飾北斎による頂点形成、明治の刑法 175 条による地下化、戦中の物理的消失、戦後の海外コレクションを経由した再発見、2013 年の大英博物館展と 2015 年の永青文庫展による現代的再評価に至る、約 800 年の長い経路を含む。

概要

春画の歴史を扱う際、第一に確認すべきは、それが単線的な「美術ジャンルの発展史」では把握しきれない複合的事象であるという点である。春画の歴史は、(1) 様式と技術の発展史、(2) 政治的規制と地下化の歴史、(3) 物理的消失と保存の歴史、(4) 学術的・公的評価の変遷史、(5) 国際的受容と再輸入の歴史、という複数の層が重なり合った複合的歴史として展開した。

時代区分として、本項では便宜的に、(I) 中世前史(平安末-室町期)、(II) 江戸初期(17 世紀後半、菱川師宣期)、(III) 錦絵期(18 世紀後半、鈴木春信-喜多川歌麿期)、(IV) 後期円熟期(19 世紀前半、葛飾北斎-歌川国貞期)、(V) 近代規制期(明治-戦前)、(VI) 戦中消失期、(VII) 戦後地下期(1945-1990 年代)、(VIII) 国際的再評価期(2000 年代以降)、の八区分を採用する。各区分は厳密に切り分けられるものではなく、相互に重なり合い、また地域・階層により展開速度を異にした。

中世前史 — 鳥羽絵から肉筆絵巻へ

鳥羽僧正と戯画的源流

日本における性的場面の絵画的描写の最古の系譜は、平安末期から鎌倉初期にかけての戯画類に遡る。とりわけ、鳥羽僧正覚猷(かくゆう、1053-1140)に帰属される『鳥獣人物戯画』(高山寺所蔵)に類する戯画群は、後代「鳥羽絵」(とばえ)の総称で呼ばれ、誇張・滑稽・寓意の表現規範を形成した。鳥羽絵そのものは性的主題を中心にしないが、男根の誇張・身体の戯画化・滑稽味の重視という後の春画に継承される表現上の核を、すでに備えていた要出典

同時期の絵巻物の中には、性的場面を含むものが断片的に伝存する。『小柴垣草紙』(こしばがきぞうし、伝鳥羽僧正、12 世紀末-13 世紀)、『稚児之草紙』(ちごのそうし、14 世紀)などは、宮廷・寺院文化を背景とする肉筆絵巻として、後の春画の遠い前史を成す。これらは大寺院・高位貴族の所有する秘蔵品であり、後の江戸町人春画とは流通範囲・社会的位置を大きく異にした。

室町期の肉筆春画

室町期(14 世紀-16 世紀)には、貴族・武家・寺社を顧客とする肉筆春画の制作が継続した。土佐派・狩野派の絵師が、公的画業の傍らで春画肉筆を手掛けた事例が史料的に確認されている。室町期肉筆春画の現存作例は限定的であり、近代以降に欧米コレクションに移管された数点が知られる程度である。

この期の春画は、(1) 上層階級の私的鑑賞、(2) 婚姻贈答、(3) 寺院での秘儀的使用、という限定的流通圏に留まり、後の江戸期に見られる町人層への普及はまだ実現していなかった。

江戸初期 — 菱川師宣による版本化

浮世絵草創期と春画の再編

17 世紀後半、江戸の町人文化の隆盛と木版印刷技術の発達は、春画の社会的位置を根本的に変容させた。それまで上層階級の肉筆秘蔵品であった春画は、版本(木版冊子)・一枚摺の形式で大量複製され、町人層に広く流通する大衆的視覚商品へと再編された。

この転換の中心人物が菱川師宣(?-1694)である。師宣は元禄期(1688-1704)に活躍した浮世絵草創期の絵師で、墨摺絵(墨一色の木版画)・墨摺に丹色を手彩色した丹絵、および肉筆画の双方で多数の春画作品を残した。代表作『恋のむつごと四十八手』(1685 頃)は、性行為の体位を 48 種に体系化した版本として、後の春画の典型を確立した画期的作品である。

師宣春画の特徴

師宣春画の様式的特徴として、(1) 流麗な墨線、(2) 行為周囲の風俗・調度・着物の細密描写、(3) 短い詞書の併存、(4) 巻物様式から版本様式への過渡的構図、を挙げることができる。師宣は性行為そのものよりも、行為の周囲の文化的環境(寝具・調度・遊女の身仕舞・客の風俗)を綿密に描き込み、後の春画における「文化総合」的性格の基礎を成した。

師宣の活動した元禄期は、井原西鶴(1642-1693)による浮世草子(『好色一代男』1682、『好色一代女』1686 等)の隆盛期と重なる。文学と絵画の両領域で、性愛を町人文化の中心主題として扱う表現が同時に開花した時代であった。

錦絵期 — 鈴木春信と歌麿

鈴木春信と多色摺技術

明和 2 年(1765)、江戸において鈴木春信(1725 頃-1770)を中心に多色摺木版画(錦絵)技術が確立する。これは複数の版木を順次重ね摺りすることで多色印刷を実現する技法で、版木の見当(けんとう)と呼ばれる位置合わせ機構の改良により可能となった。錦絵技術の確立は、浮世絵全体および春画の表現可能性を飛躍的に拡張した。

春信の春画は、繊細な人物表現、雅な雰囲気、古典文学への引用を特徴とし、文人的・教養的な層を読者として想定した。代表作『風流艶色真似ゑもん』(1770)は、神仏に願って体長一寸ほどの「豆男」となった主人公が、他人の閨房を覗き見るという奇想を持つ春画として知られる。これは「観者の代理」としての豆男を画中に配することで、春画閲覧の構造そのものを物語化した自己言及的作品である。

喜多川歌麿と春画の頂点

寛政期(1789-1801)、喜多川歌麿(1753-1806)は春画の様式的頂点を成した。代表作『歌枕』(1788)は、12 図からなる大判錦絵の春画揃物で、一面の構図的省略・身体表現の繊細さ・心理描写の深さにおいて世界美術史上最高峰の春画とされる。続く『絵本笑上戸』(1803)も、歌麿春画の代表作として知られる。

歌麿春画の革新性は、行為そのものの描写よりも、行為における女性の感情・心理に焦点を当てた点にある。視線の方向、口元のわずかな動き、髪の乱れ、襟の崩れ、手指の表情といった細部の積み重ねにより、登場人物の内面の機微を視覚化することに成功した。同時代の吉原の遊女文化と密接に結びつき、廓内の人間関係を題材とする作品が多い。

鳥居清長と他の絵師

寛政期前後には、鳥居清長(1752-1815)による八頭身の長身美人を特徴とする春画群、勝川春章(1726-1793)・春潮らの春画群も制作された。錦絵期の春画は、絵師の様式的個性が強く反映される多様性の時代として展開した。

後期円熟期 — 北斎・国貞・英泉

葛飾北斎

文化・文政期(1804-1830)に、葛飾北斎(1760-1849)は晩年に至るまで春画を制作し続けた。代表作『絵本玉門の松』(1812)、『万福和合神』(1821)、そしてもっとも有名な『喜能会之故真通』(きのえのこまつ、1814)所収の「蛸と海女」が知られる。

「蛸と海女」は、海女と二匹の蛸の交合を描いた極めて特異な構図と緻密な背景描写、画面に書き込まれた長文の戯文(蛸と海女の交わす台詞)により、現代において最も世界的に知られた春画作品となった。20 世紀以降の欧米シュルレアリスム運動、現代の触手もの表現に至るまで、長期的な美術史的影響を及ぼし続けている。

北斎春画は、奇想的・グロテスク的・幻想的性格を持ち、写実的描写を超えた想像力の領域を開拓した点で、歌麿の心理写実とは別系統の達成を成した。

渓斎英泉と歌川派

文化・文政期から天保期(1804-1844)にかけて、渓斎英泉(1791-1848)、歌川国貞(1786-1865)、歌川国芳(1797-1861)らが春画を量産した。英泉の『閨中女悦笑道具』、国貞の『艶本花の都』、国芳の『華古与見』など、技巧的・物語的に充実した晩期春画の代表例である。歌川派の門人による分業制作が、晩期春画の量的拡大を支えた。

天保改革(1841-1843)による風俗統制の強化は、春画を含む艶本出版に対する規制を厳しくした。しかし版元は地下流通網を介して継続的に春画を制作・流通させ、規制と制作の長期的均衡が形成された。

近代規制期 — 春画の地下化

明治政府の取締

1868 年(明治元年)の明治維新以降、新政府は西洋列強に対する「文明国」のイメージを保つため、春画を「猥褻画」として規制対象とした。1872 年(明治 5 年)の太政官布告「春画売買禁止令」、1882 年(明治 15 年)の旧刑法「猥褻物頒布罪」、1907 年(明治 40 年)の現行刑法 175 条の制定により、春画の制作・販売・流通は法的に困難となった。

この規制は表面的には「西洋化」として語られたが、実質的には、近世日本の多層的な性表現文化を、西洋的なポルノ/芸術の二分法へ強制的に整理する作業であった。それ以前は「笑い絵」「枕絵」「艶本」「秘戯画」など多様な呼称・社会的位置を持っていた春画は、近代法制下では一律に「猥褻物」として抑圧の対象となった。

海外流出

明治期から大正期にかけて、近代化の混乱と経済的困難の中で、大量の春画が海外コレクターの手に渡った。エドモン・ド・ゴンクール(1822-1896)、ジークフリート・ビング(1838-1905)、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866、彼の場合は江戸末期)らによる買い付けを介して、欧米の主要美術館・個人コレクションに膨大な春画が移管された。

この海外流出は、当時の日本の文化的損失として認識されたが、結果として後に春画の物理的保存に決定的役割を果たすこととなる。

戦中消失期 — 1945 年の物質的破壊

空襲と版木の焼失

1945 年(昭和 20 年)の東京大空襲(3 月 10 日他)、その他の主要都市への空襲は、江戸期以来の版木・肉筆画・蔵書の膨大な物質的痕跡を焼き尽くした。神田・日本橋・浅草等の出版街、版元の蔵、私家のコレクションが一夜にして灰燼に帰し、春画を含む江戸文化の物質的基盤は壊滅的打撃を受けた。

戦中・戦前の規制下で「秘」のものとして地下流通していた春画は、その性格ゆえに公的な保存措置の対象とならず、空襲被害に対する脆弱性が高かった。多くの版木はこの時期に永遠に失われ、現存作品は摺本として残されたものに限定されることとなった要出典

戦後の文化的真空

戦後の混乱期、占領期(1945-1952)、高度経済成長期を通じて、春画は日本国内で公的に研究・展示することが極めて困難な状態が続いた。学術書・美術全集に収録される際にも性器部分が修正される、出版そのものが断念される、といった状況が長く続いた。日本国内における春画研究は、戦後数十年にわたり、個人研究者の私的努力に依存した非公式な領域として推移した。

戦後地下期 — 林美一と白倉敬彦

林美一の研究

戦後の春画研究を実質的に支えたのは、独立研究者・林美一(はやしよしかず、1922-1999)であった。林は江戸文学・浮世絵研究の傍ら、春画の体系的研究を生涯の課題とし、『江戸艶本集成』(全 10 巻、1995-1996、河出書房新社、白倉敬彦との共編)、『艶本研究』各巻、『歌麿』(1979)等、膨大な著作を残した。

林の研究は、(1) 一次資料(現存春画版本・肉筆)の網羅的調査、(2) 絵師・版元・年代の同定、(3) 詞書・戯文の翻刻、(4) 江戸文学との関連付け、という総合的アプローチを採り、戦後春画研究の基礎を築いた。

白倉敬彦と国際的接続

美術史家・白倉敬彦(しらくらよしひこ、1939-2014)は、林の研究を継承・発展させ、国際的研究との接続を担った。代表作『春画』(新潮社、2002)は、戦後の本格的春画研究書として広く読まれ、後の春画再評価の地ならしを成した。白倉は大英博物館との学術交流を継続し、後の 2013 年大英博物館展の準備段階にも深く関与した。

田中優子(たなかゆうこ、1952-)は、江戸文化史の文脈における春画の社会的機能(特に女性側からの読み)を論じ、『張形 江戸をんなの性』(2010)等で、春画を含む江戸期女性の性的主体性を再評価する視座を提示した。

国際的再評価期 — 大英博物館展と永青文庫展

海外コレクションの基盤

20 世紀後半から、海外の主要美術館における春画研究・保存は着実に進展していた。大英博物館(ロンドン、約 2,000 点)、ハンブルク民族学博物館、ボストン美術館、ホノルル美術館、アムステルダム国立美術館、レイデン国立民族学博物館等が、明治期以降の流出資料を学術的整理の対象としてきた。

英国 SOAS(東洋アフリカ研究学院)を拠点とする Andrew Gerstle(アンドリュー・ガーストル)、大英博物館の Timothy Clark(ティモシー・クラーク)、立命館大学の Aki Ishigami(石上阿希)らによる国際共同研究は、2000 年代を通じて春画研究の国際的水準を確立した。

大英博物館「Shunga」展(2013-2014)

2013 年 10 月から 2014 年 1 月にかけて、大英博物館で開催された大規模春画展「Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art」は、春画史上の画期的事件であった。Timothy Clark を首席キュレーターとし、約 170 点の代表作を集成した同展は、(1) 日本美術史の主要分野としての春画の地位を国際的に確立し、(2) 同名カタログを春画研究の決定版として刊行し、(3) 日本国内での後続展示への道筋を切り開いた。

入場者は 8 万人を超え、英国内の主要メディアで好評を博した。日本側からは多数の学芸員・研究者が訪問し、後の永青文庫展準備の参照基盤となった。

永青文庫春画展(2015-2016)

2015 年 9 月から 12 月にかけて、東京・目白の永青文庫(細川家ゆかりの美術館)において、日本国内初の本格的春画展「春画展」が開催された。約 120 点の作品が公開され、続いて 2016 年 2 月から 5 月にかけて京都・細見美術館で巡回展が行われた。

これは明治の規制以来約 140 年ぶりの、日本国内における大規模公的春画展示であり、文化的画期となった。永青文庫の理事長・細川護熙(元首相)の決断、白倉敬彦の生前の準備、複数の主要美術館による出展拒否を経た末の永青文庫での実現、という経緯は、現代日本における春画の社会的位置の屈折を示す象徴的事例となった。

入場者は約 21 万人(永青文庫 + 細見美術館合計)を記録し、図録は再版を重ねた。これ以降、各地の中小美術館・大学博物館で春画関連の小規模展示・特別公開が散発的に行われるようになった。

21 世紀の展開と研究の現在

2013 年・2015 年の二大展示以降、春画研究は学術的にも社会的にも常態化の段階に入った。立命館大学アート・リサーチセンターによる春画データベース、国際日本文化研究センターの所蔵資料整備、国際浮世絵学会の継続的研究会など、学術的基盤の整備が進んでいる。

しかし、日本における刑法 175 条による猥褻概念の曖昧さは依然として残り、春画の図版を含む書籍出版・展示には、現在も慎重な配慮が要求される。海外の研究水準と国内の社会的受容との間には、なお少なからぬ落差が存在する。

春画の歴史は、800 年に及ぶ長い波の中で、生成・隆盛・抑圧・消失・再発見・再評価という複合的経路をたどってきた。その経路は、日本社会における性表現の地位の変動、近代化と植民地的視線の交錯、戦争による物質的破壊、戦後の知識人の地下的努力、海外コレクションの保存的役割、国際的学術ネットワークの作動といった、多層的歴史過程の凝縮した記録でもある。本項目で扱った時代区分は、その記録を読み解くための一つの枠組みに過ぎない。

関連項目

参考文献

  1. 白倉敬彦 『春画』 新潮社 (2002)
  2. 林美一 『江戸の春画』 新潮社 (1988)
  3. Clark, Timothy ほか編 『Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art』 British Museum Press (2013)
  4. 田中優子 『張形 江戸をんなの性』 河出書房新社 (2010)
  5. 稲垣進一 『浮世絵入門』 河出書房新社 (1990)
  6. 林美一 『歌麿』 河出書房新社 (1979)

別名

  • 春画史
  • History of Shunga
  • 春画通史
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