辞書を引けば一行で済む。生殖器の結合を伴う性行為のことだ。それでも、この一語が指す範囲は時代と法と文化によって何度も書き換えられてきた。
性交(せいこう、英: sexual intercourse、ラテン語 coitus)とは、人の生殖器・身体の結合を伴う性行為の総称。法律・医学・社会学・性愛文献など、領域ごとに固有の定義を持つ。狭義には膣性交(膣と陰茎の結合)を指すが、広義には肛門性交(アナルセックス)・口腔性交(フェラチオ・クンニリングス)などを含む場合もある。日本の現行刑法では、不同意性交等罪における「性交等」が膣性交・肛門性交・口腔性交を一括する定義を採用しており、領域ごとに射程が大きく異なる用語となっている。
概要
「性交」は、性別・体型・関係性を問わず、人の生殖器または身体の結合を伴う性行為を総称する語。日常会話・性愛文献における「セックス」とほぼ同義に用いられるが、医学・法律・統計調査などの専門領域では、より厳密な定義のもとに使用される。
医学・性科学領域における狭義の性交は、男性器の女性器内部への挿入を指す。生殖機能の文脈では、この狭義の性交が妊孕性(子をなしうる可能性)の起点として位置づけられてきた。一方、性科学の発展とともに、口腔性交・肛門性交・マスターベーションを含む包括的な性的活動の概念へと拡張され、現代の性教育・性科学では「性交」の語そのものが広義の性的活動を含む用法でも使われるようになっている。
性交はほぼすべての人類社会において、社会制度(婚姻・家族)・宗教規範・法体系・娯楽産業のいずれにも深く埋め込まれた行為であり、個別の人生における経験であると同時に、文化を構成する単位でもある。本項は性交を、行為としての観点・歴史的観点・現代日本における呼称体系の観点から扱う。
語源
「性交」(せいこう)は、漢字熟語「性」(セイ、性別・性の意)と「交」(コウ、交わる)の合成語。「交わる」は古代中国・日本の文献において、男女の親密な関係・夫婦の交合を指す語として古くから用いられてきた。江戸期の艶本・俗文学では「交合(こうごう)」「交接(こうせつ)」「契り(ちぎり)」などの語も同義に流通していた。
近代以降、「性交」は医学・法律用語として整備され、明治・大正期の医学翻訳語の体系に組み込まれた。学術用語としての「性交」は、英語の sexual intercourse、ラテン語の coitus の訳語として位置を占める。
英語 sexual intercourse の intercourse は、ラテン語 intercursus(往来、交流)に由来し、本来は「交わり」「やり取り」を広く指す語であった。15 世紀以降、性的な意味合いで用いられるようになり、現代英語では「intercourse」単独でも性交を指す慣用となった。coitus はラテン語 coire(共に行く、結合する)の名詞形で、医学用語として国際的に流通する。
日本語の口語では「セックス」(英語 sex の音写)が圧倒的に一般的で、「性交」は学術文献・法律文書・新聞記事などのフォーマルな文脈で用いられる比較的硬い語感の用語となっている。
定義の領域差
法律上の定義
日本の刑法における「性交等」(性交、肛門性交、口腔性交)は、不同意性交等罪(刑法 177 条、2023 年改正)・強制わいせつ罪(現・不同意わいせつ罪、刑法 176 条)などの構成要件として定義される。改正前の強制性交等罪(2017 年改正・旧称強姦罪)は男性器の女性器・肛門・口腔への挿入を「性交等」として一括していたが、2023 年改正で対象行為が更に拡大された。
民法における性交概念は、夫婦の同居・協力義務、婚姻無効・取消の判断、嫡出推定の前提条件などとして間接的に位置を占めるが、明示的な定義規定は存在しない。
医学・性科学上の定義
医学・性科学領域における「性交」(coitus)は、伝統的には男性器の女性器内部への挿入を指す狭義の定義が主流であった。1948 年・1953 年のキンゼイ報告(Sexual Behavior in the Human Male、Sexual Behavior in the Human Female)、1966 年のマスターズ・アンド・ジョンソン報告(Human Sexual Response)は、いずれも狭義の性交を中核としつつ、口腔性交・肛門性交・マスターベーションを含む包括的な性的活動の体系を提示した。
現代の性科学では、生殖の文脈と快楽・親密性の文脈を区別する立場から、「性交」の語を広義に解する用法が標準化しつつある。WHO の性的健康定義(2002 年)では、性的活動・性的健康・性的権利のいずれもが、生殖を含むがそれに限定されない包括的概念として規定されている。
性教育上の定義
学校教育における性教育の文脈では、性交は「妊娠・出産につながる行為」として位置づけられ、避妊・性感染症予防の観点から教えられることが伝統的であった。近年は「同意のある性的関係」「お互いの尊重」を中核に据えた包括的性教育(comprehensive sexuality education、CSE)の枠組みが推奨されるようになっている。
行為の構造
挿入以前
性愛文献・性科学文献における性交の構造分析では、性交は「前戯(foreplay)」「結合(coitus)」「後戯(afterplay)」の三段階モデルで論じられることが多い。前戯にはキス・愛撫・クンニリングス・フェラチオなどが含まれ、両者の身体的・心理的覚醒を高める段階として位置づけられる。
結合・挿入
結合は挿入から両者またはいずれかの絶頂・射精までの段階を指す。マスターズ・アンド・ジョンソンの性的反応サイクル(sexual response cycle、1966)では、興奮期・高原期・絶頂期・消退期の四段階モデルが提示された。両者の絶頂期が時間的に近接して発生する状態は同時絶頂と呼ばれ、性愛文献では「理想的状態」として古くから論じられてきた。
後戯
後戯は結合後の身体接触・対話・抱擁などを含む段階。性愛文献の文脈では、両者の心理的密着感の維持・関係の深化に寄与する段階として位置づけられる。性科学の研究では、後戯の質と関係満足度の相関が示唆されている。
現代日本における呼称体系
現代日本の日常語彙において、性交を指す語は文脈ごとに使い分けられる。
「セックス」は最も一般的な口語表現で、性別・年齢を問わず広く用いられる。「性交」は法律・医学・新聞などのフォーマルな文脈で標準的。「性交渉」は婉曲表現として、新聞・テレビニュースで好まれる。「夜の生活」「夫婦の営み」は婚姻関係の文脈で用いられる婉曲語。「エッチ」は若年層・カジュアルな会話で用いられる隠語的表現。「ヤる」「致す」「する」などの動詞用法は、いずれも目的語を曖昧化することで婉曲性を獲得している。
同人誌・成人向け漫画・AV のジャンル名としては、ほぼ「セックス」が標準で、「性交」は古典的・学術的雰囲気を演出する場面で用いられる。
関連項目
参考文献
- 『性の用語集』 講談社現代新書 (2004)
- 『Sexual Behavior in the Human Male』 W. B. Saunders (1948)
- 『Sexual Behavior in the Human Female』 W. B. Saunders (1953)
- 『Human Sexual Response』 Little, Brown and Company (1966)
- 『刑法』 e-Gov 法令検索 — 強制わいせつ罪・不同意性交等罪における『性交等』定義 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045