性的同意
ある夜、大学のサークル合宿。酒を勧められ、断りきれずに飲み続けた女性が、気づくと別室に連れ込まれていた。「嫌だ」と言葉に出せたわけではない。ただ、笑顔を作ることもできず、ただ動けなかった。翌朝、彼女は自分が同意したのかどうかも分からないまま、実家に戻った。長らく、こうした状況は法的に「同意」とみなされ、刑事手続では立件困難とされてきた。性的同意(consent)の概念が、こうした「同意らしきもの」と「真の同意」を厳密に区別する規範として要請されるに至ったのは、ごく近年のことである。
性的同意(せいてきどうい、英 sexual consent, affirmative consent)とは、性行為が法的・倫理的に正当化されるために必要とされる、当事者双方の自由意思に基づく同意の状態を指す概念である。当事者が意思を形成・表明・維持できる状態にあること、外部からの強制・恐怖・困惑・酩酊等の干渉がないこと、行為の継続中いつでも同意を撤回できることを要素とする。本項では概念史、現代の同意理論、日本の改正刑法における位置づけ、各国法制、教育的論点を扱う。
概念の構造
性的同意は、単一の「Yes/No」では捉えきれない複合的な概念である。法学・倫理学・心理学の研究は、有効な同意が成立するための諸条件として、以下の要素を抽出してきた。第一に意思能力(capacity)、すなわち年齢・知的障害・酩酊・薬物等によって判断能力が損なわれていないこと。第二に自発性(voluntariness)、外部からの暴行・脅迫・地位を利用した強要が存在しないこと。第三に表明(expression)、明示的な言語・行動による意思の表出が確認できること。第四に持続性(continuity)、行為の継続中も同意が維持されており、撤回されていないこと。
これら要素のうち一つでも欠ければ、表面的に拒絶がなくても法的・倫理的に有効な同意は成立しない。たとえば泥酔状態での「Yes」は意思能力を欠くために無効となり、上司からの誘いに対する沈黙は地位による圧力を背景にしうるため自発性が疑われる。性的同意の概念は、こうした微細な要素を可視化することで、加害者が「拒絶されなかった」と主張する余地を狭める機能を果たしてきた。
概念史
古典法における「夫権」と「処女性」
近代以前の西洋法体系および日本の旧刑法において、性犯罪は被害者個人の意思に対する侵害ではなく、家父長制下における「家の名誉」「夫権」「処女性」への侵害として構成されていた。1880 年(明治 13 年)旧刑法における強姦罪は、被害者の同意よりも「暴行又ハ脅迫」を要件とし、被害者の抵抗の有無が立件の鍵とされた。同様の構造は欧米諸国の 19 世紀刑法にも共通し、被害者の「貞操」が法益とされた時代が長く続いた。
20 世紀後半の転換
第二波フェミニズム運動(1960 年代-1970 年代)を契機として、性犯罪の被害者個人の性的自己決定権を法益として再構成する議論が国際的に進展した。米国の Susan Brownmiller『Against Our Will』(1975)、英国の Susan Estrich『Real Rape』(1987)などの著作が、暴行・脅迫を欠く性犯罪が司法手続から不可視化されている問題を可視化した。
「No means No」から「Yes means Yes」へ
1990 年代以降、欧米のキャンパスにおける性暴力対策運動の中で、被害者が拒絶を表明したかではなく、加害者が積極的同意を確認したかを基準とする「積極的同意原則」(affirmative consent, yes means yes)が提唱された。米国カリフォルニア州 SB-967 (2014) は、州内の高等教育機関に対して積極的同意基準を採用することを義務づけ、同様の立法が各州で進展した。
日本における法的展開
改正前の構造
強制性交等罪(改正前刑法 177 条)は、長らく「暴行又は脅迫」を構成要件とし、被害者の抵抗困難性が立件の前提とされてきた。地位を利用した強要、酩酊状態の利用、虐待関係下の性行為など、暴行・脅迫を伴わない事案では立件困難な状態が継続した。
2017 年改正
2017 年 7 月 13 日施行の改正刑法は、「強姦罪」を「強制性交等罪」と改称し、被害者の性別を不問とし、口腔・肛門挿入も処罰対象に含めた。同改正は被害者像の拡張に意義があったが、「暴行・脅迫」要件は維持され、同意中心の構造への移行は不徹底に終わった。
2023 年改正と「不同意」の明示
2023 年 7 月 13 日施行の改正刑法は、177 条を再改正して不同意性交等罪を新設し、「同意しない意思を形成し、表明し、若しくは全うすることが困難な状態」を構成要件の中核に据えた。同意を困難にする原因として、暴行・脅迫、心身の障害、アルコール・薬物の影響、睡眠その他意識不明瞭、時間的余裕の欠如、予期しない事態による恐怖・驚愕、虐待に起因する心理的反応、地位の影響力の 8 類型が明示された。これにより、暴行・脅迫がなくても、被害者が「拒否を表明できない状態」にあった場合の立件が法文上可能となった。
同改正はあわせて性的同意年齢を 13 歳から 16 歳に引き上げた(ただし 13 歳以上 16 歳未満については、行為者が 5 歳以上年長である場合に限って一律処罰、それ以外は不同意性交等罪等で処罰)。13 歳という諸外国と比べ著しく低い同意年齢は、長年国際機関から是正を求められてきた懸案であった。
国際比較
米国
米国では連邦法ではなく州法・大学規則のレベルで積極的同意原則が普及している。カリフォルニア州 SB-967 (2014) を皮切りに、ニューヨーク州 Enough is Enough Act (2015) など、州立大学に積極的同意基準の採用を義務づける立法が進展した。連邦レベルでは Title IX(教育修正法第 9 編)に基づき、高等教育機関にハラスメント・暴力対策の義務が課される。
英国
英国 Sexual Offences Act 2003 は、性犯罪の構成要件として「同意の不存在」を中核に据え、同意を「合意する自由と能力を有して合意したこと」と定義する。同意の有効性を阻却する事由(暴行・脅迫、薬物投与、虐待関係、意思疎通障害等)を列挙する条文構造は、後の各国立法のモデルとなった。
北欧諸国
スウェーデンは 2018 年に「同意法」(samtyckeslag)を施行し、暴行・脅迫を欠く場合でも、明示的な同意なき性行為を犯罪とする原則を採用した。ドイツも 2016 年改正により「No means No」原則を導入し、「同意しない意思を表明したことが認識可能な状況での性行為」を処罰対象に含めた。
国際機関の勧告
イスタンブール条約(欧州評議会、2014 発効)第 36 条は、自発的同意なき性行為の犯罪化を締約国に義務づける。国連人権理事会・CEDAW(女子差別撤廃委員会)も、各国に同意中心の性犯罪規定への移行を継続的に勧告している。日本に対しても CEDAW は同意年齢の引き上げ、暴行・脅迫要件の見直しを繰り返し要請してきた。
教育・社会運動
性的同意ワークショップ
2010 年代以降、日本でも大学・高校を中心に性的同意ワークショップが普及した。新入生オリエンテーションでの実施例、学生団体ちゃぶ台返し女子アクションや一般社団法人 Spring 等による啓発活動が知られる。これらの活動は、加害・被害の発生を予防するだけでなく、性行為における対等な関係を学ぶ機会として位置づけられている。
包括的性教育との接続
UNESCO『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』(2009 初版、2018 改訂)は、性教育の核心概念として同意を位置づけ、年齢段階に応じた指導内容を提示する。日本の学習指導要領は性的同意を独立の指導項目として明示せず、教育現場では当事者団体・NGO の補完的活動に依存する状態が続いている。
「フリーズ反応」の認知
性暴力被害者が、恐怖や驚愕により身体が硬直して抵抗できなくなる「フリーズ反応」(tonic immobility)の存在が、医学・心理学研究により認識されるようになった。スウェーデン・カロリンスカ研究所の Möller らの研究(2017)では、性暴力被害者の約 70% にフリーズ反応が観察されたと報告される。改正刑法の不同意要因に「予期しない事態による恐怖・驚愕」が含まれた背景には、こうした医学的知見の蓄積がある。
論点
立証の困難
同意中心の構造への移行は、被害者の意思状態という主観的事実を立証対象とする困難を司法に課す。客観的な暴行・脅迫の事実を立証する旧構造に比べ、当事者間の認識の不一致が争点となりやすく、二次被害(被害者への詰問・人格攻撃)を招く危険が指摘される。実務上は、被害直後の通報・客観的記録の保全・専門医の診断書等が立証を支える。
「グレーゾーン」の処理
明確な暴行・脅迫を欠き、当事者間で同意の解釈が分かれる事案を「グレーゾーン」と呼ぶことがある。改正刑法の 8 要件は、こうした事案の処罰可能性を拡張する一方、刑事処罰と民事・社会的責任の境界をどう引くか、法学界・実務家の間で議論が続いている。
文化的差異
明示的な同意確認を求める「Yes means Yes」原則は、非言語的・文脈的なコミュニケーションを重視する文化圏(日本を含む東アジア諸国等)においては摩擦を生じうる、との議論がある要出典。教育・啓発の場では、文化的文脈を踏まえつつ同意の核心(自由意思・対等な関係)を伝える工夫が求められている。
関連項目
参考文献
- 『性的同意ハンドブック』 明石書店 (2022)
- 『なぜ「同意」しなければいけないのか?』 築地書館 (2003)
- 『性犯罪に関する法律の規定が変わりました!』 法務省 (2023) https://www.moj.go.jp/KANBOU/KOHOSHI/no82/3.html
- 『Affirmative Consent: Theoretical and Practical Considerations』 Yale Law Journal (2016)
別名
- 性的合意
- sexual consent
- affirmative consent
- yes means yes