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私娼

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分類歴史・文化 用例「戦後の私娼街を歩いた老婆の証言」 私娼の取り締まりが強化された」 用法名詞 類義語立ちんぼ 関連吉原 / 売春防止法 / / 五条楽園 対義語公娼制度 最終更新 ▸ 累計 PV

夜の橋の下、藁筵を抱えた女が立っている。茣蓙一枚の値段は二十四文、後の岡場所の四分の一、廓の遊女の百分の一である。客は橋脚の影で済ませ、女はまた立ち位置に戻る。この夜鷹と呼ばれた最下層の女たちは、廓内の太夫・花魁の華やかさの対極にあって、近世の性売買の最も冷たい底辺を成していた。彼女らの存在なしに、廓の制度は完結しなかった。

私娼(ししょう)は、公的な認可・登録を受けず、非合法または黙認的に売春を行う女性、およびその制度・業態の総称である。近世においては外で営業する隠売女(かくしばいじょ)・夜鷹・比丘尼を指し、近代においては娼妓鑑札を持たずに営業する女性および銘酒屋・カフェー・特殊飲食店の女給などを指した。公娼制度に対する対義概念として、近世から戦後に至るまで、性売買管理制度の二重構造を構成し続けた。

概要

私娼の存在は、性売買管理制度を採る社会において必然的に発生する現象である。国家が指定地・登録制によって特定の女性のみに営業を認める制度を採れば、それ以外の女性による営業は非合法ないし黙認の領域を成す。近代日本の場合、公娼制度の成立(1900 年の娼妓取締規則)と同時に、私娼への取締規則も整備され、両者は法制度的に対をなす関係であった。

私娼の規模は、公娼数を常に大きく上回ったとされる。明治末期から大正期にかけて、登録された公娼(娼妓)数は全国で約 5 万人前後で推移したのに対し、各種推計による私娼数は 10 万人から 20 万人以上に及んだ要出典。この圧倒的な数の差は、公娼制度が建前上の規制制度であり、実態としての性売買のごく一部しか管理していなかったことを示す。

近世の私娼

岡場所

近世の私娼業態の中核を成したのは、幕府公認の(吉原島原・新町)の外で営業する「岡場所」(おかばしょ)であった。岡場所は宿場・寺社門前町・郊外の盛り場などに発生し、半ば黙認・半ば取締の二重的状況下で営業を続けた。

江戸の代表的岡場所として、深川(辰巳芸者・辰巳の岡場所)、本所、四谷、新宿(内藤新宿)、品川(品川宿の飯盛女)などが知られる。京都では祇園・先斗町・宮川町・北野上七軒、大阪では北新地・堀江・高津・道頓堀などが、いずれも公認の島原・新町の外で営業する岡場所として発達した。

夜鷹・比丘尼・お歯黒どぶ

岡場所よりさらに下層の私娼として、街頭で立ち売りを行う「夜鷹」(よたか)、僧形を装って門付け売春を行う「比丘尼」(びくに)、その他「船饅頭」(舟上の私娼)などの業態があった。これらは最も貧困な層の女性が従事し、価格も廓の遊女の百分の一以下であった。

夜鷹は江戸期後半に最も顕著な業態で、本所・両国・浅草界隈の橋下・河岸を主な活動場所とし、藁筵を持って客を取った。料金は数十文から百文程度で、当時の最下層日雇い労働の一日分に相当した。夜鷹に関する近世文献としては、『守貞謾稿』(1837-1853)・『近世風俗志』などが存在し、その実態の一端が伝えられている。

隠売女と廓への送付処分

幕府は岡場所・夜鷹・比丘尼を「隠売女」(かくしばいじょ)として取締の対象とした。摘発された隠売女は、原則として吉原に送付され、一定期間「奴女郎」(やっこじょろう)として無給で労働させる処分が行われた。これは公認廓への財政的支援と、私娼取締の実効性確保を兼ねた措置であった。

この処分制度は、公認廓と私娼の関係を端的に示す。私娼は公認廓の競合者であると同時に、取締を通じて公認廓の労働力供給源として機能する、相補的な関係にあった。

飯盛女

街道の宿場には「飯盛女」(めしもりおんな)と呼ばれる業態があった。形式上は宿の給仕女であるが、実態として売春に従事する女性で、品川・板橋・千住・内藤新宿の四宿(江戸四宿)では、各宿場あたり百数十名の飯盛女が認められていた。これは公認・私娼の中間的形態であり、街道交通と性売買の結合した近世特有の業態である。

明治以降の私娼

銘酒屋

明治期に新たに発生した私娼業態として、「銘酒屋」(めいしゅや)が知られる。1887 年(明治 20 年)頃、矢場(弓矢的場、矢場女が応対する遊技場)が衰退した後、「○○正宗」「□□菊正宗」などの銘酒の看板を掲げて私娼を抱える店として再編された業態である。1892-1893 年頃には「銘酒屋」と書かれた行灯を出すスタイルが定着した。

銘酒屋は東京・横浜・大阪・名古屋などの都市部に集中し、特に東京では浅草十二階下、玉ノ井(東京都墨田区)、亀戸(同江東区)、洲崎(同江東区。後に公認指定地化)、白山(同文京区)などが代表的集中地として発達した。永井荷風『濹東綺譚』(1937)は玉ノ井の銘酒屋街を舞台とする小説として、その風俗を描いた重要な文学作品である。

銘酒屋は形式上は酒類販売の店舗であり、私娼の存在は法的には黙認されていたが、警察の摘発対象となることもあった。1923 年の関東大震災後には、東京の銘酒屋街の地理的再編が進み、玉ノ井が新たな中心地として浮上した。

カフェーと特殊カフェー

大正末期から昭和初期にかけて、新たな業態として「カフェー」(café)が広がった。当初は西洋風の喫茶店であったが、女給による接客サービスの強化、性的サービスの提供を経て、「特殊カフェー」と呼ばれる事実上の私娼業態が成立した。

特殊カフェーは銘酒屋と異なり、近代的・西洋的な装いをまとった都市文化の一部として位置づけられた。銀座・新宿・渋谷・道頓堀などの繁華街に展開し、知識人・サラリーマン層を主な客とした。地方では仙台・福岡・札幌などの都市にも広がった。

地方議会で公娼制度廃止が決議された県(群馬・神奈川・秋田など、1933 年以降)では、廃止後の業態として特殊カフェーが急増し、公娼制度廃止が実態としては私娼業態への転換を促す結果となる事例も多かった。

戦時下と戦後

戦時下の管理

1930 年代後半から戦時体制下では、銘酒屋・特殊カフェー・私娼は「風紀粛正」の対象として強化された取締を受けた。一方、軍は戦地に「慰安所」を組織し、地方からの斡旋・ブローカーを通じて女性を集めた。この過程では、銘酒屋・特殊カフェーの女給・私娼の一部が、満州・南方の慰安所に送られたとされる。慰安婦問題は公娼制度・私娼制度の双方と連続性を持つ歴史的問題として、戦後の研究で扱われている。

街娼・パンパン

敗戦直後の 1945 年から 1950 年代前半にかけて、米軍占領下の都市部で「街娼」(がいしょう)・「パンパン」と呼ばれる私娼業態が急増した。占領軍兵士を主な客とし、駅周辺・公園・橋下などで営業した。

特に東京の上野公園・有楽町、横浜の本牧、佐世保・横須賀・小倉などの基地周辺都市で集中的に発生し、戦後混乱期の都市風景の象徴的存在となった。彼女らの多くは戦災で家族・住居を失った若年女性で、生活の必要から街娼に従事した経緯が、当時のルポルタージュ・小説・映画(『肉体の門』田村泰次郎、1947)で記録されている。

GHQ・日本警察は街娼を「公衆衛生」「占領軍の健康保護」の観点から取締の対象とし、強制検診・収容・治療を行った。この強制処遇は、公娼制度下の性病管理の延長とも言えるが、対象が「街娼」というより流動的・非組織的な業態であったため、より暴力的な性格を帯びた。

売春防止法後

1958 年(昭和 33 年)4 月 1 日の売春防止法完全施行により、公娼・私娼ともに法的に営業が禁止された。同法の施行後、公認指定地(赤線)の業者はソープランド・キャバレーなどに転換し、私娼業態は街娼(立ちんぼ)・無認可マッサージ店・出会い系などの形で継続した。

法施行後の私娼の代表的形態として、「立ちんぼ」(街娼)、ホテトル・デリヘル(派遣型)、出会い系を介した個人売春などがある。現代日本においても、これらの業態は形を変えて存続し、近世以来の公娼・私娼の二重構造の名残を成している。

私娼の社会的位置

経済的背景

近世から戦後に至るまで、私娼となった女性の多くは、貧困層出身であった。東北・北陸・四国・九州の農村部から都市部への女性の流入、家族の生計困窮、戦災・天災による生活破綻などが、私娼への参入の主要経路であった。

私娼の所得は公娼に比べて圧倒的に低く、しかも経営者(銘酒屋・カフェー主・あるいは個人ブローカー)による搾取の度合いも強かった。生活基盤の不安定さ、社会的偏見、性病罹患のリスクなどが、私娼の生活条件を恒常的に悪化させた。

法制度上の取扱い

公娼制度下において、私娼は形式上の取締対象であった。明治以降の各府県の取締規則、刑法犯罪としての風俗営業違反などを根拠に、警察による摘発・収容・処分が行われた。一方、現実には、警察による黙認・賄賂・地区別の取締密度の差異により、取締の実効性は限定的であった。

廃娼運動を担った団体(矯風会・救世軍など)は、公娼制度の廃止と並んで、私娼の救済・保護も活動の一部とした。私娼救済施設「婦人ホーム」「慈愛館」などが各地に設置され、廃業を望む女性の受入・職業訓練・社会復帰支援を行った。これらの活動は、戦後の女性保護施設(婦人保護施設)の前身となった。

文化的影響

文学

私娼を題材とする近代文学は数多く存在する。永井荷風『濹東綺譚』(1937)、川端康成『浅草紅団』(1929-1930)、葛西善蔵・葛西水穂、田村泰次郎『肉体の門』(1947)、坂口安吾『戦争と一人の女』(1946)などは、私娼街・街娼を題材とした代表作である。これらの作品は、近代都市の周縁・敗戦の混乱を背景に、私娼の生活を通じて社会の変容を描いた。

視覚芸術

近代の浮世絵・写真・映画にも、私娼の風俗が記録された。竹久夢二の女性像の一部、明治末期の浅草十二階下を撮影した写真、戦後の上野・有楽町を撮影した写真ジャーナリズムなどに、私娼の存在は痕跡として残されている。

映画

戦後の日本映画には、街娼・パンパンを主題とする作品が多数ある。鈴木清順『肉体の門』(1964)、神代辰巳『青春の蹉跌』(1974)、今村昌平『にっぽん昆虫記』(1963)などは、戦後私娼史の重要な視覚的記録となっている。

文化史的意義

私娼の歴史は、公娼制度の影として位置づけられがちであるが、量的にはむしろ公娼を上回る規模で、近世から戦後に至る性売買の主体的領域を構成してきた。私娼の存在は、国家による性売買管理の限界を示すと同時に、貧困・ジェンダー・地域格差・戦災といった社会経済的要因が、女性の身体を売買の対象として組み込んでいく構造を可視化する。

近年の歴史学・女性史・社会史において、私娼の存在は単なる「公娼の対義語」ではなく、近代日本社会の周縁性・流動性を理解する鍵概念として再評価されつつある。本項目においても、私娼を独立した主題として扱い、その歴史的・社会的意義を文化史的称揚と人権上の批判の双方から記述する立場を採る。

関連項目

参考文献

  1. 『私娼』 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%A8%BC
  2. 『銘酒屋』 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%98%E9%85%92%E5%B1%8B
  3. 藤目ゆき 『近代日本公娼制度の社会史的研究』 不二出版 (1997)
  4. 加藤政洋 『敗戦と赤線―国策売春の時代』 光文社新書 (2009)
  5. 曽根ひろみ 『廓のおんな』 山川出版社 (2003)

別名

  • 隠売女
  • 夜鷹
  • 比丘尼
  • 銘酒屋
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