百合
少女小説と少女漫画の系譜の中で発達した、女性同士の親密な関係を描く物語群は、戦後日本の出版文化において一個の表象領域を形成してきた。同性愛を題材とする西洋のレズビアン文学と並行しつつも、日本独自の文脈で発達した「百合」というジャンル概念は、現在では国際的に通用する文化記号として定着している。
百合(ゆり)とは、女性同士の恋愛もしくは性愛、あるいは強い情緒的紐帯を主題とする漫画・小説・アニメ・ゲームなど物語ジャンルの総称である。英語圏では Yuri または Girls’ Love(GL)と呼ばれ、男性同士の恋愛を扱う BL(Boys’ Love)と対をなすジャンル概念として認識されている。本項ではジャンルの語源、商業誌および同人誌での発展、代表作品、海外受容、そしてレズビアン文学・実写AVとの差異までを通観する。
概要
百合は、女性同士の関係性を中心に据える物語ジャンルであり、その範囲は精神的・情緒的親密さを描く作品から、明示的な性愛描写を含む成人向け作品までを横断する。商業出版形式での連載・単行本に加え、コミックマーケット等の同人誌即売会を介した流通が並行して発達しており、この点でエロ漫画文化と構造的類似を持つ。
ジャンル内部の温度差は大きく、一方の極には性的接触を一切描かず情緒的関係のみを焦点化する作品(精神的百合、spiritual yuri)が、他方の極にはレズビアン的性愛描写を主軸とする成人向け作品が位置する。両者は同一ジャンル概念のもとで並列的に出版・流通しており、読者層もまた重なり合う。
百合と類縁の概念として、英語圏で発達した Girls’ Love(GL)、性的描写を欠く女性同士の親密性を指す shōjo-ai(海外ファンダムでの造語、日本語の「少女愛」とは意味が異なる)、性愛描写を主軸とする成人向け作品を指す hentai yuri 等の語彙が存在する。これらの語の使い分けは時代と読者圏で変動しており、現代の日本国内では「百合」が最も広く包摂的に用いられる総称となっている要出典。
語源
「百合」をジャンル名として用いた最初期の用例は、1976 年に男性同性愛者向け雑誌『薔薇族』(第二書房)誌上で同誌編集長・伊藤文学が女性読者投稿欄を「百合族の部屋」と命名したことに遡るとされる。男性同性愛者を「薔薇族」と呼ぶ語法に対して、女性同性愛者を「百合族」と呼ぶ対比的造語であった。
この命名の背景として、(1) 西洋古来の図像伝統において百合(Lilium)は純潔・処女性の象徴として聖母マリアと結びつけられてきたこと、(2) 1970 年代の少女漫画において花の意匠が女性的紐帯の象徴として頻用されていたこと、が指摘されている。語源として確実な一次資料は伊藤の自伝的記述に拠るところが大きく、命名当時に明示的なジャンル意識が存在したかについては議論の余地がある要出典。
「百合」が現代的なジャンル名として定着したのは、1990 年代後半から 2000 年代初頭にかけてのインターネット同人文化の中であり、それ以前の少女小説・少女漫画における女性同士の関係表象は、当時は別の語彙(「エス」「クラスメイト」等)で論じられていた。
歴史
前史: エス文化と少女小説(明治末期 - 1930 年代)
百合の長期的前史として、明治末期から昭和戦前期にかけて女学校文化の中で発達した「エス」(S、sister の頭字)文化が挙げられる。エスは女学生間の擬似姉妹的親密関係を指し、吉屋信子『花物語』(1916-1924)を代表とする少女小説群がこの関係性を主題化した。
吉屋の作品群は、後の百合ジャンルにおける学園的舞台設定、年長/年少の対関係、書簡・贈答による情緒交流の表現様式に大きな影響を残した。文学研究者・赤枝香奈子『近代日本における女同士の親密な関係』(2011)は、この時期の女性間紐帯を歴史社会学的に分析している。
1970 年代少女漫画における先駆作
戦後の百合的表象の本格的萌芽は、1970 年代の少女漫画における同性愛主題の取り扱いに見出される。山岸凉子『白い部屋のふたり』(1971)は、フランスの寄宿学校を舞台とする女子生徒間の恋愛を描いた作品であり、戦後少女漫画における女性同性愛表象の先駆として位置づけられる。
池田理代子『ベルサイユのばら』(1972-1973)、池田理代子『おにいさまへ…』(1974)、一条ゆかり『摩耶の葬列』(1972)等、同時期の少女漫画には女性間の強い紐帯ないし同性愛的暗示を含む作品が散見される。これらは独立したジャンルとして自覚されていたわけではないが、後年の百合ジャンルの直接的源流とみなされている。
商業誌の登場(1990 年代 - 2000 年代)
ジャンル概念としての百合が独立した出版領域を形成したのは、1990 年代後半から 2000 年代にかけてである。今野緒雪『マリア様がみてる』(1998-2012、集英社コバルト文庫)はカトリック女子高を舞台とする「姉妹(sœur)」制度を軸とする学園小説であり、累計発行部数は 600 万部を超え、百合ジャンルを大衆的読者層へ拡大する画期的作品となった。同作品は 2004 年に TV アニメ化され、同人創作の活発な対象ともなった。
商業誌としては、2003 年創刊の『百合姉妹』(マガジン・マガジン、2004 年休刊)、2005 年創刊の『コミック百合姫』(一迅社)、2003 年創刊の『百合天国』(株式会社サン出版)等が、百合作品専門の漫画雑誌として登場した。『コミック百合姫』は休刊と再創刊を経て現在に至るまで継続刊行されており、商業百合の中核媒体として機能している。
多様化期(2010 年代以降)
2010 年代以降、百合ジャンルは題材・表現様式の双方で大きく多様化した。志村貴子『青い花』(2004-2013)、仲谷鳰『やがて君になる』(2015-2019)等の作品は、同性愛のアイデンティティ的側面を正面から取り扱う作品として批評的評価を受けた。『やがて君になる』は累計発行部数 200 万部を超え、2018 年に TV アニメ化されている。
同時期、入江亜季『北北西に曇と往け』(2017-)、加藤拓弐『ささやくように恋を唄う』(2019-)、雀々餡『君は淫らな僕の女王』(2018-)など、ジャンル横断的に百合的関係性を含む作品が増加し、百合は限定的サブジャンルから一般的物語要素へと拡張する傾向にある。
派生形態
商業誌系
商業誌における百合は、上述の『コミック百合姫』をはじめ、各社が個別に百合専門誌・百合特化レーベルを運営している。出版形態としては月刊誌・隔月誌での連載と単行本化、書き下ろしアンソロジー、Web 連載のいずれもが並行運用される。
近年では一迅社の「百合ヒロインズ」レーベル、新潮社の「BUNCH COMICS」内百合枠、双葉社『月刊アクション』の百合連載枠等、百合を主力商品とする出版マーケティングが定着している。
同人誌系
同人誌文化における百合は、二次創作と一次創作の双方で活発に展開されている。コミケでは百合ジャンルの専門コーナーが設置されており、参加サークル数は数千規模に及ぶ。二次創作百合は、原作で明示的に同性愛が描かれていない作品のキャラクター間に女性同性愛的関係を読み込む解釈実践として発達してきた。
『美少女戦士セーラームーン』(1992-1997)の海王みちる/天王はるかの関係、『少女革命ウテナ』(1997)、『マリア様がみてる』(1998-2012)、『ガールズ&パンツァー』(2012-)、『ラブライブ!』(2010-)、『きんいろモザイク』(2010-)、『ご注文はうさぎですか?』(2011-)、『プリキュア』シリーズ等は、二次創作百合の主要な題材として継続的に取り扱われている。
成人向け百合
性愛描写を主軸とする成人向け百合作品は、商業誌・同人誌の双方で独立サブジャンルを形成している。成人向け百合は、男性キャラクターの関与を排除し女性同士の性的関係のみを描く作品形式であり、行為類別としてはクンニリングス、相互愛撫、玩具を介した接触等が中心となる。
成人向け百合の読者層は男性・女性の双方を含み、女性同性愛者の自己表象としての側面と、異性愛男性読者向けの幻想的表象としての側面の両方を持つ。両者の差異は表現様式・身体描写・関係性の描き方において識別可能であり、研究者によってはこれらを別ジャンルとして区分すべきとの議論もなされてきた要出典。
海外への受容
百合は 2000 年代以降、英語圏ファンダムを中心に国際的受容を獲得した。英語圏では Yuri がそのまま定着し、Girls’ Love(GL)の略称も併用される。米国の評論家 Erica Friedman は Yuricon コミュニティを 2000 年に立ち上げ、英語圏での百合批評・翻訳紹介の中心的役割を果たした。Friedman の By Your Side: The First 100 Years of Yuri Anime and Manga(2022)は、英語圏初の体系的百合通史として刊行されている。
学術領域では、ジェンダー研究者ジェイムス・ウェルカー(James Welker、神奈川大学)が日本のクィア文化と百合ジャンルの関係を継続的に論じており、Mark McLelland 編 Queer Voices from Japan(2007)等の論集に寄稿している。フランス・ドイツ・中国語圏(台湾・香港)・韓国でも翻訳出版が継続的に行われ、各地域に独自の百合批評ジャーナリズムが形成されつつある。
中国語圏では「百合」が日本語からの直接借用語として定着し、台湾の出版社・尖端出版や中国大陸のオンラインプラットフォーム上で多数の翻訳・現地創作作品が流通している。
レズビアン文学・レズ AV との差異
百合ジャンルは、女性同性愛を主題とする他の文化形式と部分的に重なりつつも、明確に異なる文化的座標を持つ。
レズビアン文学とは、英語圏を中心とする女性同性愛者の自己表象としての文学・批評の系譜を指し、Adrienne Rich, Audre Lorde, Sarah Waters らの作品群を代表とする。日本では掛札悠子、桑原ヒサ子らによる当事者文学の系譜が並行して存在する。レズビアン文学は同性愛アイデンティティを政治的・社会的問題として正面から扱う傾向が強く、対する百合は架空の関係性として娯楽的に消費される傾向が伝統的に強かった。ただし 2010 年代以降の作品ではこの境界は流動化しており、当事者性を意識した百合作品も増加している。
レズAV(レズビアン物 AV)とは、実写のアダルトビデオにおける女性同士の性的接触を描く作品ジャンルを指し、男性視聴者を主たる想定読者とする商業ジャンルとして発達してきた。レズ AV は実写映像の生理的訴求を主軸とするのに対し、百合は物語的・関係的表象を主軸とする。両者は対象的にも表現的にも別の文化形式として識別される。
文化的言及
評論家・藤本由香里は『私の居場所はどこにあるの?』(1998)において、少女漫画における女性間紐帯の表象史を体系的に論じた。漫画批評家・黒澤美登里は同人誌・批評誌における百合論考を継続的に発表しており、日本国内の百合批評の代表的論者の一人と目されている。雑誌『ユリイカ』2014 年 12 月臨時増刊号「百合文化の現在」は、百合を主題とする初の本格的批評アンソロジーとして広く参照されている。
百合は、戦後日本の少女文化の系譜から派生し、商業出版・同人創作・国際的ファンダムを横断して発達してきたジャンル概念であり、ジェンダー研究・サブカルチャー研究・出版文化研究の重要な対象となっている。男性同性愛を扱う BL と並んで、同性愛表象が異性愛者をも巻き込む大衆的物語形式として成立した点に、戦後日本のメディア文化の特異性が現れている。
関連項目
参考文献
- 『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』 学陽書房 (1998)
- 『百合作品ファイル』 イースト・プレス (2008)
- 『Queer Voices from Japan: First-Person Narratives from Japan's Sexual Minorities』 Lexington Books (2007)
- 『By Your Side: The First 100 Years of Yuri Anime and Manga』 Journey Press (2022)
- 『ユリイカ 2014年12月臨時増刊号 総特集◎百合文化の現在』 青土社 (2014)
- 『薔薇族』 第二書房 (1971-2008)
別名
- Yuri
- GL
- Girls' Love
- ガールズラブ
- 百合ジャンル