SOGI ハラスメント
SOGI ハラスメント(そぎはらすめんと、英 SOGI harassment)とは、性的指向(Sexual Orientation)および性自認(Gender Identity)、すなわち SOGI に関する差別的言動・嫌がらせの総称である。2020 年 6 月施行の改正労働施策総合推進法および厚生労働省パワーハラスメント防止指針により、職場における事業主の防止措置義務の対象として明示的に位置づけられた。アウティング(本人の同意なき性的指向・性自認の暴露)を典型例に含むが、揶揄・侮辱的呼称・性的指向の決めつけ・施設利用拒否など、より広い範囲の言動を包含する人権侵害類型である。
語源と概念
SOGI の概念
SOGI は Sexual Orientation and Gender Identity の頭字語であり、日本語では「性的指向と性自認」と訳される。性的指向はいかなるジェンダーの者に性的・恋愛的に惹かれるか、性自認は自身の性別をどのように認識するかをそれぞれ指す概念である。LGBT・LGBTQ が性的少数者という当事者カテゴリを名指す表現であるのに対し、SOGI は全ての人が有する属性軸として中立的に整理された概念であり、多数派・少数派を問わず適用される。
国連人権理事会、欧州評議会、国際労働機関(ILO)などの国際機関は 2010 年代以降、当事者集団の名指しを避け、属性軸としての SOGI に依拠した政策枠組みを採用してきた。日本の行政文書・法令でも 2010 年代後半以降、SOGI もしくは「性的指向及びジェンダーアイデンティティ」の表記が定着している。
「ハラスメント」概念の輸入
ハラスメント(harassment)は元来、英米法における「平穏に生活する権利の侵害」を意味する民事不法行為概念である。日本では 1989 年の福岡セクハラ訴訟を契機にセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)の語が定着し、その後パワー・ハラスメント、マタニティ・ハラスメント、モラル・ハラスメントと拡張された。SOGI ハラはこの系譜の一類型として 2010 年代後半に造語された和製英語である。英語圏では SOGI-based harassment、anti-LGBT harassment 等の表現が並行して用いられる。
法的位置づけ
改正労働施策総合推進法 (2019)
2019 年 5 月 29 日成立、6 月 5 日公布の「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(令和元年法律第 24 号、いわゆるパワハラ防止法)は、第 30 条の 2 において、事業主に対し、職場における優越的な関係を背景とした言動による就業環境侵害の防止のため雇用管理上必要な措置を講ずる義務を課した。大企業について 2020 年 6 月、中小企業について 2022 年 4 月にそれぞれ施行された。
パワーハラスメント防止指針 (2020)
同法第 30 条の 2 第 3 項に基づき厚生労働省が告示した「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和 2 年厚生労働省告示第 5 号)は、パワーハラスメントの典型 6 類型(身体的攻撃、精神的攻撃、人間関係からの切り離し、過大な要求、過小な要求、個の侵害)のうち、「精神的攻撃」と「個の侵害」の例示として SOGI 関連の言動を明記した。
具体的には、性的指向・性自認に関する侮辱的言動を「精神的攻撃」の一例として、また労働者の性的指向・性自認・病歴等の機微な個人情報を本人の了解を得ずに他の労働者に暴露する行為(アウティング)を「個の侵害」の一例として、それぞれ位置づけた。これにより SOGI ハラおよびアウティングは、行政指針上、事業主の防止措置義務の対象となるパワーハラスメントの一態様として確立した。
防止措置義務の内容
事業主に課される雇用管理上の措置は、(1) 事業主の方針等の明確化および周知・啓発、(2) 相談に応じ適切に対応するために必要な体制の整備、(3) 職場におけるハラスメントへの事後の迅速かつ適切な対応、(4) 併せて講ずべき措置(プライバシー保護・不利益取扱いの禁止)の四類型からなる。違反した事業主には厚生労働大臣による助言・指導・勧告がなされ、勧告に従わない場合は企業名の公表が予定されている。
自治体条例
国レベルの法整備に先行・並行して、地方自治体が SOGI に関する差別禁止条例を制定する動きが広がっている。東京都国立市「女性と男性及び多様な性の人権を尊重し合う平和なまちづくり基本条例」(2018)、東京都「人権尊重条例」(2018)、三重県「差別解消条例」(2021)などが、性的指向・性自認に基づく差別的取扱いやアウティングの禁止規定を含む。
類型と具体例
職場における類型
行政・労働組合・当事者団体の調査が報告する SOGI ハラの典型例は、おおむね以下のように整理される。
第一に、揶揄・侮辱的言動である。「ホモ」「オカマ」「レズ」などの蔑称を本人または同僚に向けて用いる、性的指向・性自認を笑いの対象とする会話を職場で展開するといった行為が含まれる。第二に、性的指向の決めつけである。「お前ホモなんじゃないか」と冗談として問うことや、結婚・恋愛事情を執拗に確認して異性愛規範を強要する言動が該当する。第三に、アウティング、すなわち本人の同意を得ずに性的指向・性自認を第三者に暴露する行為である。第四に、施設・処遇上の差別であり、トランスジェンダー労働者に対するトイレ・更衣室・通称使用の拒否、健康診断における配慮の欠如などが含まれる。第五に、雇用上の不利益取扱いであり、採用拒否、配置転換、昇進差別、退職強要などが該当する。
LGBT 法連合会が 2019 年に取りまとめた当事者調査は、当事者の半数以上が職場で SOGI に関する不快な経験をしたと回答していると報告している。
一橋大学アウティング事件 (2015)
2015 年 8 月、一橋大学法科大学院の男子学生が同級生に同性愛者であることを暴露された後に転落死した事件は、アウティングがもたらす深刻な人権侵害として社会的注目を集めた。遺族は加害学生および大学に対して訴訟を提起し、東京地裁(2019)・東京高裁(2020)はいずれも大学側の安全配慮義務違反は否定したものの、アウティング行為自体の人格権侵害性を認定する判旨を含んだ要出典。本件は SOGI ハラ・アウティング概念が法政策的議論に組み込まれる重要な契機となった。
学校・地域社会における SOGI ハラ
学校教育の場
文部科学省は 2015 年 4 月、「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」を通知し、2016 年 4 月には教職員向け Q&A を公表した。2017 年改訂のいじめ防止基本方針では、性的指向・性自認に関わるいじめが防止対象として明記された。学校現場における SOGI ハラの典型例には、男女別整列・制服指定によるトランスジェンダー児童生徒への負担、同級生による蔑称・揶揄、教職員の不適切な発言、保健・体育授業における異性愛規範の前提化などが挙げられる。
医療・行政窓口
医療機関の問診票における家族構成・配偶者欄の前提、行政窓口における通称使用への対応の不一致、住民票・健康保険証の性別表記をめぐる対応など、医療・行政の場面でも SOGI に関する配慮の欠如が継続的な論点となっている。これらは制度設計に起因する構造的問題であり、個別の悪意ある言動とは性質を異にするが、当事者にとっては同等の心理的負担を生じうる。
国際比較
国際労働機関 (ILO) 第 190 号条約
2019 年 6 月 21 日、第 108 回 ILO 総会は「仕事の世界における暴力及びハラスメントの撤廃に関する条約」(第 190 号条約)を採択した。同条約は仕事の世界におけるあらゆる暴力およびハラスメントの撤廃を目的とし、第 6 条で性別に基づく暴力・ハラスメントの撤廃を、また性的指向・性自認等を理由とする差別的状況下にある集団を含む脆弱な集団への保護を規定している。2021 年 6 月発効、2025 年時点で 40 を超える国が批准している。日本は 2025 年時点で未批准であり、批准に向けた国内法整備が議論されている要出典。
欧州人権条約
欧州評議会の欧州人権条約(1950)第 8 条(私生活の尊重)・第 14 条(差別の禁止)は、欧州人権裁判所の判例蓄積を通じて性的指向・性自認に関する権利保障の根拠規定として機能してきた。1981 年の Dudgeon v. United Kingdom 判決(同性愛行為処罰の違反認定)、1999 年の Salgueiro da Silva Mouta v. Portugal 判決(性的指向に基づく親権差別の違反認定)、2010 年の P.V. v. Spain 判決(トランスジェンダーに関する事案)などを経て、性的指向・性自認に基づく差別的取扱いは原則として条約違反となるとの判例法理が確立している。
米国
米国連邦最高裁は 2020 年 6 月 15 日、Bostock v. Clayton County 判決により、1964 年公民権法第 7 編(Title VII)の性差別禁止規定が性的指向・性自認に基づく職場差別を含むと判示した。同判決により、SOGI に関する職場差別が連邦法上の違法行為として明確化され、SOGI ハラスメントの法的取扱いに対する国際的影響が及んだ。
英国・EU
英国 Equality Act 2010 は性的指向・性別適合(gender reassignment)を保護属性として明示し、職場・サービス提供におけるハラスメントを禁止する。EU では 2000 年雇用平等指令(2000/78/EC)が雇用領域における性的指向差別を禁止しており、加盟国の国内法整備の根拠となっている。
議論
「ハラスメント」概念の射程
日本のパワハラ防止法は職場における優越的関係を背景とする言動を要件としており、職場外・対等な関係における SOGI 関連言動は防止措置義務の直接的対象とならない。これに対し、SOGI に基づく差別を職場の枠を超えて包括的に禁止する独立法(差別禁止法・包括的差別禁止法)の制定を求める当事者団体・人権団体の主張が継続的に提起されている。
「決めつけ」と「率直な議論」の境界
性的指向・性自認に関する言及の全てがハラスメントとなるわけではなく、業務上必要な配慮の確認や本人の自発的開示への応答などは正当な業務遂行の範囲に含まれる。何が「決めつけ」「揶揄」となり何が正当なコミュニケーションとなるかの線引きは、業務上の必要性、本人の同意、言動の継続性・態様などを踏まえた個別判断を要する。厚生労働省指針は典型例の例示にとどまり、個別事案の判断は事業主の体制整備と相談対応に委ねられている。
当事者の負担
ハラスメント被害を申告する過程で性的指向・性自認の開示を求められることや、調査過程で意に反する開示が広がる懸念は、当事者の申告抑制要因として指摘される。プライバシー保護を担保した相談体制の整備、外部相談窓口の活用、加害者・第三者への情報統制が、実効的な防止措置の前提として重視されている。
バックラッシュ
LGBT 理解増進法・パワハラ防止指針の成立過程では、SOGI ハラ概念の明示的位置づけに対する保守的立場からの異論も提起された。「合理的配慮」の範囲、トイレ・更衣室など空間利用をめぐる議論、学校教育における取扱いなど、SOGI ハラ防止の具体的実装をめぐる議論は継続している。
関連項目
参考文献
- 『労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律』 e-Gov 法令検索 (2019) — 令和元年改正、いわゆるパワハラ防止法
- 『事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針』 厚生労働省告示第5号 (2020) — パワーハラスメント防止指針
- 『仕事の世界における暴力及びハラスメントの撤廃に関する条約』 国際労働機関 (ILO) 第190号条約 (2019)
- 『セクシュアル・マイノリティをめぐる労働問題』 労働政策研究・研修機構『日本労働研究雑誌』 (2017)
- 『性的指向及び性自認等により困難を抱えている当事者等に対する法整備のための全国連合会調査』 LGBT 法連合会 (2019)
- 『Convention for the Protection of Human Rights and Fundamental Freedoms』 Council of Europe (1950) — 欧州人権条約。第8条・第14条が SOGI 関連判例の根拠規定となっている
別名
- SOGIハラ
- ソジハラ
- sexual orientation gender identity harassment
- SOGIハラスメント