帰宅後の数時間、明日の予定を考えながらシナリオの長い泣きゲーに手を出すのは厳しい。そんなときに選ぶのが、起動から終了までが短く、シナリオより性描写を売りにする一群である。
抜きゲー(ぬきげー、抜きゲ)とは、性描写を中核に据え、シナリオの長さや感動性よりも性的興奮の喚起を優先するエロゲのサブジャンルを指す業界・ファン用語である。本項では「泣きゲー」「燃えゲー」等の対概念との対比、低時間・高密度型の構造、専門メーカーの系譜、ならびにビジュアルノベルとの関係を扱う。
概要
「抜きゲー」は俗語であり、明確な業界公式の定義は存在しない。一般的には次の特徴を満たすエロゲ作品を指す。(1) 全プレイ時間に占める性描写場面の割合が高い(目安として 4〜6 割以上)、(2) シナリオは性描写の文脈装置として機能し、それ自体の文学性は副次的、(3) プレイ時間が比較的短い(5〜15 時間規模)、(4) 価格帯はフルプライス(8,000〜10,000 円)よりミドル〜廉価(3,000〜6,000 円)が中心。
対概念として、長大シナリオ・感動性を売りにする「泣きゲー」、伝奇・バトル要素を擁する「燃えゲー」、日常描写を主軸とする「ほのぼの系」等がある。これらは互いに排他的ではなく、実際の作品はスペクトラム上に位置づけられる。同一作品が「シナリオも抜きも両立」と評される場合もある。
語源
「抜き」は男性の自慰行為を婉曲的に指す俗語であり、「抜きゲー」は「抜くためのゲーム」「抜く目的で買うゲーム」の略称である。1990 年代後半のエロゲ系インターネット掲示板・ファン同人誌等で自然発生的に成立した語で、2000 年代に入って業界・ファンの双方で広く使われるようになった。
業界側では「即抜き」(即時に性的興奮を引き出すこと)、「単抜き」(性描写の単位的消費)等の派生語も生まれた。
歴史
前史:エロゲ黎明期(1980 年代)
1980 年代の PC アダルトゲームは、ハードウェアの制約からビジュアル表現が貧弱であり、性描写は主にテキストとごく簡単な静止画で表現された。市場規模が小さく、シナリオ性・性描写の分化以前であったため、現代的意味の「抜きゲー」概念はまだ存在しない。1982 年のコスモスコンピューター『ナイトライフ』、1985 年のエニックス『ロリータ』等が初期エロゲの代表である。
1990 年代:ジャンル分化の前提
1992 年のエルフ『同級生』が、性描写中心の作りから「夏休み恋愛シミュレーション」へと方向転換し、シナリオ重視のエロゲの方向性を提示した。1996 年の Leaf『雫』『痕』、1997 年の『To Heart』、1999 年の Key『Kanon』が、シナリオ・キャラクター・感動性を売りにするビジュアルノベルの系譜を確立した。
これらの「シナリオゲー」「泣きゲー」の隆盛と並行して、伝統的に性描写を中心とする作品群が「抜きゲー」として相対的に位置づけられるようになった。1990 年代後半には、ジュリエット・ぱじゃまソフト・あかべぇそふと等、性描写中心の作風を専門とするメーカーが市場で独自の位置を確立した。
2000 年代:抜きゲー専門メーカーの台頭
2000 年代に入ると、抜きゲー専門メーカーが市場で確固たる位置を占めた。代表的なメーカーとして以下が挙げられる。
bishop(ビショップ): 1996 年設立、痴女・人妻・熟女等の特定嗜好を専門とする作風。「淫妖蟲」シリーズ等が代表。
Lilith(リリス): 2002 年設立。BDSM・調教・凌辱等の重い嗜好を専門とする作風で、「対魔忍アサギ」シリーズが代表作。
ぱじゃまソフト: 1998 年設立。明るい雰囲気のシチュエーションエロゲを売りにする。
あかべぇそふとつぅ: 2003 年設立。シナリオ・抜きの両立を志向する。
ALICESOFT (アリスソフト): 1980 年代から続く老舗で、『Rance』シリーズ等を展開。RPG・SLG 要素とエロを組み合わせる作風で、純粋な抜きゲーとは性格を異にするが、抜き要素重視の作品を多数擁する。
2010 年代以降:DLsite・FANZA 配信時代
2010 年代以降、抜きゲーの主戦場はパッケージ流通から DL 配信(DLsite、FANZA)へと移行した。低価格(1,000〜3,000 円)・短時間(2〜6 時間)の DL 専用抜きゲーが大量に流通し、消費者は数百円単位で個別の嗜好に合致する作品を選択購入する形態が定着した。
同人ゲーム市場の隆盛と相互浸透し、商業/同人の境界は流動化している。「商業抜きゲー」と「同人抜きゲー」の制作者・メーカーの人材移動も活発である。
構成と表現
抜きゲーの典型的構造は、(1) 短い導入(主人公とヒロインの関係性の設定)、(2) 性描写場面の連鎖(状況・嗜好を変えながら 5〜15 場面)、(3) 終盤の関係結着、という単純なフレームを取る。シナリオはヒロインを性描写場面に運び込むための文脈装置として機能する。
表現上の核は、原画(立ち絵・CG)、テキスト、ボイス、効果音の統合である。原画家の絵柄が消費者の選好を強く規定するため、特定原画家を冠した「○○原画ゲー」というブランド形成が成立する。
ジャンル別の細分化として、寝取られ抜きゲー、人妻抜きゲー、巨乳抜きゲー、BDSM抜きゲー、アヘ顔・メス堕ち抜きゲー、ファンタジー異種姦抜きゲー等、嗜好別の専門ジャンルが成立している。
受容と批評
抜きゲーは、エロゲ批評の世界では長らく「シナリオゲーの対」として副次的に扱われてきた。しかし、2000 年代以降の更科修一郎ら美少女ゲーム批評は、抜きゲーをエロゲの本質的形態として正面から論じる視座を提示した。「物語が薄い」ことは欠陥ではなく、純粋に身体的興奮を喚起する装置としての完成度が問われる、というジャンル論である。
消費者の側では、シナリオゲー・泣きゲーと抜きゲーは並列的に消費される。同じプレイヤーが、休日にシナリオゲーを腰を据えてプレイし、平日夜に抜きゲーを短時間で消費する、という使い分けが一般的である。
「抜きゲー」「泣きゲー」「燃えゲー」の関係
エロゲ市場のジャンル弁別語として、「抜きゲー(性描写中心)」「泣きゲー(感動シナリオ中心)」「燃えゲー(伝奇・バトル中心)」の三項対立が 2000 年代に確立した。これらはエロゲの「何を売り物にするか」の編集方針の差異を表す業界用語であり、実作品はいずれかに排他的に分類されるわけではなく、抜きゲー寄りシナリオゲー、泣ける抜きゲー、抜ける燃えゲー等の混合形態が存在する。
近年は、純粋な抜きゲーの市場よりも、「抜きも楽しめるシナリオゲー」「シナリオも楽しめる抜きゲー」のような混合型が商業的に有利な傾向にある。これは、消費者が「両立」を求めることと、制作コストの増大から「片方だけ」では成立しにくいこと、両者が要因と思われる。
文化的言及
抜きゲーは、エロゲ研究・サブカル研究の対象として 2000 年代以降ようやく批評的に正面から扱われるようになった。性描写を中心とするゲーム形式が、文学的シナリオを擁する作品群と並んで独自の表現価値を持つという認識は、この時期のサブカル批評の成熟と並行して定着した。
抜きゲーは、エロゲ市場・同人ゲーム市場の物量的中核を成す作品群として、現在の日本サブカルチャー経済の一翼を担っている。
関連項目
参考文献
- 『美少女ゲームの臨界点』 波状言論 (2004)
- 『Beautiful Fighting Girl』 University of Minnesota Press (2011)
- 『コンピュータゲームの神話学』 PLANETS (2016)
- 『オタク用語の基礎知識』 宝島社 (2014)
別名
- nukige
- 抜きゲ
- 抜きゲー専用
- 抜き専