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太夫

tayuu
分類人物 用例「島原の太夫を初めて見た」 太夫道中が島原で再現された」 用法名詞 最終更新 ▸ 累計 PV

京都・島原の角屋。畳廊下を進み、襖を隔てた向こう座敷で、白塗りの女が太夫道中の歩を運ぶ。三枚歯の高下駄、内八文字に踏み出す足、後光のように立てた前帯。客は揚屋の主人を介して呼び出し、対面の所作・盃事・芸の披露を経て、ようやく床に至る。あるいは、初会では至らない。公家文化の様式美を背景に、遊女と芸能の境界に立った最高位の女たちが、近世日本の都市文化の頂点で営んだ職能の総称である。

太夫(たゆう、英: tayuu, tayu)は、近世初期の京都・島原および江戸・吉原における遊女最高位の称号である。元来は神事芸能・芸能諸職の最上位称号で、能楽・浄瑠璃・歌舞伎・神楽等の世界でも師範格を指す語であった。遊廓に転用されたのは江戸初期で、最高位の遊女が独自の儀礼・装束・芸事体系を伴う職能として制度化された。本項では公家文化を背景とする成立、揚屋制度、江戸・京都での発展、近代以降の制度的終焉と現代の継承を述べる。

概要

太夫は、近世初期(17 世紀)の遊廓制度における頂点に位置した職能類型である。京都・島原の太夫制度を本流とし、江戸・吉原・大阪・新町等にも同名の格付けが導入された。和歌・連歌・俳諧・茶道・華道・香道・書道・舞踊・三味線・箏曲等の高度な教養と芸事を備え、さらに容姿・立ち居振る舞いの全領域で卓越することが要求された。

太夫の特徴は、(1) 揚屋制度を伴う独立営業者的性格、(2) 客選択権の制度的保障、(3) 公家文化を背景とする教養体系、(4) 限定された人数(京都・島原で最大 30 名前後、吉原で最大 3 名)、にある。京都・島原では最盛期に総勢 30 名前後を数え、江戸・吉原では元禄期(1688-1704)に最大 3 名であったとする史料が残る要出典

語源

「太夫(たゆう)」は、本来は古代律令制下の五位(殿上人の最下位、ただし庶民から見れば貴族の入口)以上の有位者を指した称号である。「大夫」とも書く。後に職能諸職の最上位称号として転用され、能楽の各座頭領(観世太夫・宝生太夫等)、浄瑠璃の語り手(竹本義太夫等)、歌舞伎の女形最高位(中村芝翫太夫等)、神楽の奉仕者(神主太夫)、相撲の関取以上、等の各分野に流用された。

遊廓における太夫の語は、こうした職能諸職の最上位称号としての用法の延長で、最高位の遊女が他の遊女から区別される最上格として位置づけられたものである。京都・島原の遊女が太夫を名乗ったのは、京都という都市が公家文化・芸能諸職の中心地であったことと深く関連する。

歴史

京都の太夫制度

豊臣秀吉が 1589 年(天正 17)に京都・柳町に遊廓の集約を命じた。この柳町は後年、六条三筋町に移転し、さらに 1641 年(寛永 18)に朱雀野(現在の京都市下京区西新屋敷町、地名「島原」)に移転して「島原遊廓」が成立した。島原の太夫は、(1) 京都の公家文化・町衆文化との接続、(2) 揚屋制度の維持、(3) 教養水準の継承、により、近世を通じて最高位の称号として存続した。

最盛期の島原には、太夫を抱える置屋(輪違屋・近江屋等)、太夫が客を迎える揚屋(角屋等)、雑用を担う仲居・下女・幇間等を含む独立した職能組織が成立した。太夫は置屋に所属しつつも独立営業者的性格が強く、客の選択権・芸の選択権を相当程度行使できた。

太夫の格は、(1) 太夫(最高位)、(2) 天神(次位)、(3) 鹿恋(かこい、第三位)、(4) 端(はし、最下位)等の階層を成した。各階層は揚代・装束・接客様式・付き従う禿(かむろ)・新造の数等で厳密に区別された。

吉原の太夫制度

江戸・吉原においても、京都・島原の制度を移入する形で太夫制度が導入された。吉原での太夫の格は元禄期(1688-1704)を頂点として、最大 3 名前後の少数で固定された。「初代高尾」「二代目高尾(仙台高尾)」「玉菊」等が、吉原の歴代太夫の代表例として記録されている。

しかし吉原の太夫制度は、京都・島原に比して短命に終わった。享保改革(1716-1745)以降の幕府倹約令、武家の経済的窮乏、太夫を支える教養水準の供給困難、揚屋制度の経済的破綻等が複合的に作用し、宝暦年間(1751-64)までに太夫の格は事実上消滅した。1751 年(宝暦元)、玉屋山三郎抱えの最後の太夫「玉菊」の死後、吉原の太夫格は再興されることなく、代わって「花魁」が最高位の呼称として定着した。

揚屋制度

太夫制度の中核を成した独自の客接遇形式が揚屋制度である。客は引手茶屋(京都では「茶屋」、江戸では「引手茶屋」)を通じて太夫を予約し、太夫は揚屋(独立した接客施設)に出向いて客と対面する。床入りはこの揚屋で行われ、太夫の置屋(普段の住居・修業場)とは空間的・機能的に分離されていた。

京都・島原の代表的揚屋であった「角屋(すみや)」(現存、国指定重要文化財)は、揚屋建築の典型を示す唯一の遺構である。客間・台所・庭園・便所まで、揚屋特有の空間配置が現存する。文人・俳人(松尾芭蕉と縁のある与謝蕪村、小林一茶等)・武家・公家・大名等が同所を訪れた記録が残る。

吉原の揚屋制度は、太夫制度と並行して衰退した。揚屋の経済的維持が困難となり、引手茶屋制度(より小規模・簡素な仲介施設)へと移行した。これに伴い、太夫の独立営業者的性格も失われ、より従属的な「花魁」格付けへと再編された。

教養と芸事

太夫の教養体系は、公家文化の様式に即した。和歌は『古今和歌集』『新古今和歌集』を、連歌・俳諧は宗祇・芭蕉以来の正統を、茶道は表千家・裏千家・武者小路千家の三千家を、華道は池坊・嵯峨御流を、香道は御家流・志野流を、それぞれ習得することが期待された。

芸事面では、三味線・箏曲・舞踊が中核であった。三味線は地歌、箏は生田流・山田流、舞踊は京舞井上流(京都)・市山流(江戸)等が修練対象となった。書道は宸翰様(しんかんよう、皇室・公家の様式)を習い、和歌の懐紙・色紙の揮毫が日常の所作の一部となった。

これら教養・芸事の総体は、太夫が単なる性労働者ではなく、近世日本の都市文化を体現する職能者として機能するための基盤を成した。客側にも一定の教養が要求され、「太夫を名乗る客は太夫に振られる」(教養の劣る客は太夫に拒絶される)という慣行が、太夫の社会的地位を補強した。

装束と所作

太夫の装束は、(1) 紋紗・縮緬・金襴の打掛、(2) 重さ 20 kg 前後の前帯結び、(3) 三枚歯の黒塗り高下駄、(4) 鼈甲(べっこう)・銀・銅製の櫛・笄・簪、(5) 鶴兵庫・伊達兵庫等の華麗な髪型、で構成された。装束 1 揃いの調達費は当時の中級武家の年収に相当した。

道中(太夫が揚屋に向かう行列)では、内八文字(京風)の歩法を用いた。三枚歯下駄を履きながら足首を内側に半円を描くように回す技法で、長期の訓練を要した。江戸・吉原の花魁が外八文字を採用したのと対照的で、両都市の様式美の差を象徴する。

解放令と近代以降

1872 年(明治 5)の芸娼妓解放令以降、太夫の格付けも形式的には無効となった。しかし京都・島原では、明治・大正・昭和初期を通じて太夫の称号が伝統文化継承の枠組で残存し、戦後にも芸妓・舞妓とは別格の伝統職能継承者として、置屋「輪違屋」を中心に継承が続いた。

吉原の太夫は、宝暦期(18 世紀半ば)に消滅して以降、再興されなかった。明治・大正・昭和の吉原は花魁・娼妓の制度が中核を成し、太夫の名称が用いられることはなかった。

現代の継承

2026 年現在、京都・島原では「輪違屋」が伝統的太夫の唯一の継承置屋として活動を継続している。同屋には、現役の太夫(司太夫・葵太夫等)が所属し、伝統儀礼・芸事・道中の様式を継承している。同屋は通常非公開だが、特別公開期間(春・秋)には一般見学が可能である。

太夫の現代的活動は、伝統芸能継承・観光振興・京都市文化財保護等の枠組で位置づけられる。京都府指定無形文化財・京都市指定無形民俗文化財等の指定を経て、現代に伝承されている。性的奉仕は当然ながら太夫の現代的職能には含まれず、伝統儀礼・舞踊・茶事等の文化継承が活動の中心となる。

文化的影響

文学と歌舞伎

太夫を主題とする近世文学作品は多い。井原西鶴『好色一代男』(1682)、近松門左衛門『傾城阿波の鳴門』『傾城仏の原』等の浄瑠璃、為永春水『春色梅児誉美』(1832-33)等の人情本、滝沢馬琴の読本諸作、各種戯作文学に太夫が中心人物として登場する。

歌舞伎の世話物・時代物にも、太夫を主人公とする演目が多数存在する。『助六由縁江戸桜』『廓文章 吉田屋』『梅にも春』等は現代の歌舞伎舞台でも上演される代表作である。

浮世絵

浮世絵師の多くが太夫を題材とした。菱川師宣・鳥居清長・喜多川歌麿等の美人画には、太夫の装束・道中・揚屋の風俗が詳細に描かれている。歌麿「青楼十二時」「歌撰恋之部」等の連作は、近世太夫文化の視覚的記録としての価値を持つ。春画においても、太夫を主人公とする作品が多数制作された。

京都の伝統芸能との接続

太夫の芸事は、京舞井上流・地歌・箏曲・茶道三千家等の京都の伝統芸能諸流派との接続を持つ。現代の太夫継承者は、これら諸流派との交流を通じて伝統的様式を維持している。「都をどり」(祇園甲部、4 月)等の芸妓・舞妓主導の公演とは別に、太夫独自の道中・舞踊披露の公演機会が、京都市内の文化施設・寺院等で散発的に開催される。

花魁との関係

太夫は花魁の前身的格付けである。両者の最大の相違は、(1) 廓の地理的差異(京都・島原対江戸・吉原)、(2) 文化的背景(公家文化対町人文化)、(3) 接客制度(揚屋対引手茶屋)、(4) 時期的並存(吉原では太夫衰退後に花魁が登場、京都では太夫が近代まで存続)、にある。

太夫は揚屋制度を伴う独立営業者的性格を保持したのに対し、花魁は引手茶屋制度のもとでより従属的な性格を帯びた。装束・髪型・歩法等の様式美は両者で類似するが、太夫は内八文字、花魁は外八文字を採用する点等、地域差が様式に反映している。

関連項目

参考文献

  1. 高橋利樹 『島原―京の花街』 京都新聞出版センター (2003)
  2. 石井良助 『吉原遊廓』 中公新書 (2012)
  3. Seigle, Cecilia Segawa 『Yoshiwara: The Glittering World of the Japanese Courtesan』 University of Hawaii Press (1993)
  4. 喜田川守貞 『近世風俗志(守貞謾稿)』 (1837-1853)
  5. 『京都嶋原に生きる―太夫の文化』 輪違屋 — 輪違屋資料

別名

  • 太夫
  • 大夫
  • tayuu
  • tayu
  • 嶋原太夫
  • 島原太夫
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