表現規制とは、表現行為および表現物の流通に対して、国家・行政・業界・社会が課す制限の総称であり、性表現をめぐっては刑事規制・行政規制・業界自主規制・倫理規制が複合的に機能する領域として論じられる。
表現規制(ひょうげんきせい)とは、文書・画像・映像・音声などの表現行為および表現物の制作・流通・頒布・公然陳列に対して、国家・行政機関・業界団体・社会的圧力主体が課す各種の制限の総称である。英語では regulation of expression または広義に censorship と訳されるが、日本語の「表現規制」は、検閲(censorship)よりも広く、自主規制・行政指導・社会的批判による萎縮効果まで含む概念として用いられることが多い。本項では、用語の射程、戦後日本における規制史、平成・令和期の主要論点、国際比較、対抗概念を扱う。
用語の射程
「表現規制」という語は、規制の主体・形態・根拠により、複数の層に分節される。法学・社会学領域では、以下の四区分が便宜的に用いられる要出典。
法的規制(刑事規制)
国家による刑罰を伴う直接的規制を指す。性表現領域では、刑法 175 条(わいせつ物頒布等罪)、刑法 174 条(公然わいせつ罪)、児童買春・児童ポルノ法、リベンジポルノ防止法などが該当する。違反に対しては懲役・罰金が科され、もっとも強力な規制形態である。
法的規制は、罪刑法定主義のもと、構成要件の明確性、比例原則、表現の自由との均衡が要請される。日本国憲法 21 条 1 項は表現の自由を保障し、同条 2 項は検閲の絶対的禁止を規定するため、法的規制は事前抑制ではなく事後処罰の形式を原則とする。
行政規制
行政機関による許認可、指定、命令を伴う規制を指す。具体的には、風営法に基づく性風俗関連特殊営業の届出制・営業時間・地域規制、各都道府県の青少年健全育成条例による有害図書類の指定および青少年への販売禁止、放送法・有線放送法に基づく放送規制、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(プロバイダ責任制限法)に基づく流通管理などが該当する。
行政規制は刑罰を直接伴わない場合もあるが、許認可の取消し、課徴金、指定による販売制限など、実質的な経済的・流通的制約を課す。
業界自主規制
業界団体・業界内倫理機構による自律的規制を指す。映画倫理機構(映倫)、コンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)、コンテンツ・ソフト協同組合(コ・ソ協)、日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)、IT 業界の各種審査機構などが、加盟事業者の制作物に審査・修正・指定を行う。AV 業界のモザイク処理慣行は、業界自主規制の典型例である。
業界自主規制は、法的規制を回避するための予防的措置として機能する側面と、業界の公的信頼性を担保するための内部統治として機能する側面を併せ持つ。長岡義幸は『「自主」規制の構図』(2010)において、この自主規制が形式的には自律的でありながら、実質的には行政指導・流通圧力・社会的批判の連動によって駆動されることを論じた。
倫理規制(社会的規制)
明示的な制度を介さない、社会通念・道徳観・市場圧力による規制を指す。具体的には、出版社の編集判断、書店・コンビニエンスストアの陳列方針、決済代行業者の取扱方針、SNS プラットフォームの利用規約、広告主の出稿基準、市民団体・宗教団体・親の会などによる抗議運動などが該当する。
倫理規制は法的根拠を伴わないが、市場アクセスを制約することで実質的に表現の流通を抑制する。とりわけ 2010 年代以降、グローバルプラットフォームのコンテンツポリシー、決済代行業者の方針(クレジットカード規制問題)が、国家規制を超える実効的影響を持つ事例として論じられている要出典。
戦後日本における規制史
占領期から 1950 年代
第二次世界大戦の終戦直後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、戦時下の検閲体制を継承する形で出版物の事前検閲を実施した(SCAP 検閲、1945–1949)。この時期、軍国主義的表現が規制対象となる一方、性表現の解放も進行し、いわゆる「カストリ雑誌」が大量に流通した。
1950 年、サンフランシスコ講和条約締結に向けた占領政策の転換と並行して、日本政府は刑法 175 条に基づく性表現規制を再起動した。1957 年(昭和 32 年)のチャタレイ事件最高裁大法廷判決は、戦後日本のわいせつ概念の規範的定義を確立し、以後の判例・実務の基礎となった。
1960–1970 年代
1960 年代、サド『悪徳の栄え』澁澤龍彦訳の起訴(悪徳の栄え事件、1969 年最高裁判決)、永井荷風作とされる「四畳半襖の下張」の起訴(1980 年最高裁判決)など、文学作品のわいせつ性をめぐる主要判例が形成された。これらの判例は、表現規制と表現の自由の緊張関係を司法的に整理する役割を果たした。
並行して、各都道府県は青少年健全育成条例を制定し、有害図書指定制度による販売規制を整備した。最初期の条例は 1950 年代から制定が進み、1970 年代には全国の主要都道府県で整備が完了した。これにより、刑法 175 条の対象に至らない表現物に対しても、行政的・流通的規制が及ぶ二層構造が確立した。
1980 年代
ビデオデッキの家庭普及に伴い、アダルトビデオ産業が勃興した。これに対応して、1984 年に日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)が設立され、業界自主規制によるモザイク処理・販売管理体制が構築された。1985 年改正風営法は、性風俗関連特殊営業の届出制を新設し、行政規制の枠組みを整備した。
同時期、コンビニエンスストアの全国展開に伴い、成人向け雑誌の流通形態が変容した。1990 年代に向けて、コンビニ陳列をめぐる業界自主規制(成人マーク表示、シュリンク包装)が段階的に整備されていった。
平成期の主要論点
児童ポルノ法
児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(児童ポルノ法、児童買春・児童ポルノ法)は、1999 年に制定された。当初は提供・販売・頒布等のみを処罰対象としたが、2004 年改正で罰則が強化され、2014 年改正で単純所持を処罰対象に追加した。
立法・改正過程では、児童保護の必要性と表現の自由・プライバシー権との均衡をめぐり、活発な議論が行われた。とりわけ 2014 年改正における「漫画・アニメ・CG」を規制対象に含めるか否かをめぐる論点は、創作表現と実在児童保護の関係をめぐる重要な争点として議論された。最終的に、当該改正では創作物は規制対象に含まれず、附則において「調査研究」が規定されるにとどまった。
東京都青少年健全育成条例改正(2010)
2010 年、東京都は青少年健全育成条例の改正案を提出し、不健全図書類の指定基準に「非実在青少年」(架空のキャラクターであって、年齢または服装等から 18 歳未満として表現されている者)に係る性的描写を含める旨を盛り込んだ。これに対し、出版社・漫画家・批評家・法学者から強い反対が表明された。
3 月の都議会では否決されたが、6 月に再提出された改正案は、当初案から一部修正(「非実在青少年」の文言を削除し、刑罰法規に触れる性交等を描写した図書類を対象とする等の修正)を経て、12 月に可決された。「非実在青少年論争」と称されるこの一連の議論は、フィクション規制をめぐる現代的論点を可視化し、その後の表現規制論の基層を成すものとなった。
山口貴士・永山薫らはこの議論において、規制の根拠とされる被害論(架空表現が現実の児童被害を誘発するとする説)の実証的根拠の脆弱性、および規制の射程の不明確性を批判した。
コンビニ成人雑誌撤去(2019)
2019 年、大手コンビニエンスストア各社は、成人向け雑誌の販売を順次中止した。これは、訪日外国人増加・東京オリンピック開催を背景とする「公共空間における配慮」を名目とするものであったが、実質的にはゾーニングの徹底ではなく流通からの排除として機能した。法的規制ではなく、市場主体の経営判断による倫理規制の典型例として論じられる。
令和期の動向
AV 新法(2022)
2022 年 6 月、AV 出演被害防止・救済法(AV 新法)が施行された。同法は、表現物それ自体ではなく、出演契約手続きおよび出演者保護に関する規律を中心とする点で、従来の表現規制とは性格を異にする。出演者の人権保護を主眼とする立法であり、書面交付義務、待機期間、契約解除権が規定されている。
立法過程では、AV 業界の制作・流通体制への影響、人権擁護と職業選択の自由の関係、規制の比例原則などをめぐり議論が行われた。施行後は、業界の制作体制再編、待機期間遵守による制作スケジュール変更などの実務的影響が観察されている。
性的画像生成 AI
2020 年代、生成 AI(Stable Diffusion 等の画像生成モデル、大規模言語モデル)による性的表現の自動生成が技術的に可能となり、新たな表現規制の論点が形成された。論点は次の三層に分節される要出典。
- 学習データの適法性: 生成モデルの学習に用いられたデータの著作権・肖像権・パブリシティ権をめぐる論点
- 生成物の法的性格: AI が生成したわいせつ画像・児童ポルノ類似画像が、既存の表現規制法の射程に含まれるか
- プラットフォーム責任: 生成モデル提供者・配布者の法的・倫理的責任
各国は対応を模索しており、欧州連合は AI 規則(AI Act, 2024 年成立)で透明性義務・リスク区分を整備した。日本では 2024 年以降、文化庁・内閣府の検討会で議論が継続している。
ディープフェイクとリベンジポルノ
実在人物の肖像を用いた性的合成画像(ディープフェイクポルノ)は、リベンジポルノ防止法・名誉毀損罪・著作権法・パブリシティ権侵害などの複合的法的論点を提起する。生成技術の高度化に伴い、被害類型の拡張に対応する立法的対応が国際的課題となっている。
国際比較
各国の表現規制は、それぞれの憲法体系・社会通念・宗教的背景を反映して多様である。
米国
合衆国憲法修正第 1 条は表現の自由を強く保障する。連邦最高裁は Miller v. California(1973)において、わいせつ性判断のミラー基準(Miller test)を確立した。同基準は、(1) 平均的人(applying contemporary community standards)が作品全体として猥りに性的興味に訴えると認めるか、(2) 法令が明示的に禁ずる性的行為を明白に不快な仕方で描いているか、(3) 文学的・芸術的・政治的・科学的価値を欠くか、の三要件で構成される。
米国は児童ポルノについて連邦法により実写を厳格に規制する一方、創作物については Ashcroft v. Free Speech Coalition(2002)により、実在児童を用いない創作的表現の規制を表現の自由に反するものとして違憲無効としている。
欧州諸国
ドイツ刑法 184 条は猥褻物罪を規定し、ハードコア表現の流通には年齢確認・流通制限を課す。フランスは 2020 年代以降、ポルノ産業出演者保護立法を整備しつつある。北欧諸国は概して性表現に寛容な一方、児童ポルノ・人身取引対策では厳格な立法を有する。
中国・韓国・東南アジア
中国は包括的な表現規制体制下にあり、性表現は原則として違法である。韓国は刑法 243 条の「猥褻物頒布等罪」のもと、AV を含む性表現流通が制限される。東南アジア諸国は、宗教的背景(イスラム圏のマレーシア・インドネシアなど)を反映した独自の規制体系を有する。
対抗概念
表現規制と対比される概念として、以下のものが論じられる。
表現の自由
表現の自由(freedom of expression)は、日本国憲法 21 条、世界人権宣言 19 条、自由権規約 19 条等で保障される基本的人権である。表現規制は、表現の自由の制約として、必要性・比例原則・明確性原則による正当化を要する。
ゾーニング
ゾーニング(zoning)は、表現物それ自体を禁圧するのではなく、特定の場所・時間・対象者へのアクセスを制限する制度である。性表現については、成人向けコーナー設置、年齢確認、地域規制(風営法)などが該当する。表現規制論においては、全面禁圧に対する穏健な代替手段として位置づけられる。
自主規制
業界自主規制は、外部からの法的規制を回避しつつ業界の自律的統治を確保する手段として機能する。一方で、長岡義幸が指摘するように、自主規制が実質的には行政指導・流通圧力との連動により駆動される場合、形式的自律と実質的他律の乖離が論点となる。
関連項目
- 表現の自由
- わいせつ概念
- 刑法 174 条(公然わいせつ罪)
- 刑法 175 条(わいせつ物頒布等罪)
- AV 新法
- 児童ポルノ法
- 風営法
- ゾーニング
- リベンジポルノ防止法
- 性教育
- 検閲
- 青少年健全育成条例
- 非実在青少年論争
参考文献
- 奥平康弘『性表現の自由』有斐閣、1986 年
- 奥平康弘『わいせつ概念と表現の自由』法律文化社、1986 年
- 長岡義幸『「自主」規制の構図―売れない本の作られ方』現代人文社、2010 年
- 山口貴士『マンガと法律』創出版、2010 年
- 永山薫『エロマンガ・スタディーズ―「快楽装置」としての漫画入門』イースト・プレス、2006 年
- 山口貴士・永山薫 ほか『マンガ論争』永山薫事務所、2009 年以降継続
参考文献
- 『性表現の自由』 有斐閣 (1986)
- 『わいせつ概念と表現の自由』 法律文化社 (1986)
- 『「自主」規制の構図―売れない本の作られ方』 現代人文社 (2010)
- 『マンガ論争』 永山薫事務所 (2009-) — 雑誌『マンガ論争』は通巻継続。マンガ表現規制論の主要文献の一つ
- 『マンガと法律』 創出版 (2010)
- 『エロマンガ・スタディーズ―「快楽装置」としての漫画入門』 イースト・プレス (2006)
- 『非実在青少年論争―東京都青少年健全育成条例改正をめぐって』 創出版 (2010)
- 『AV出演被害防止・救済法』 法律 第78号 (2022)
- 『児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律』 法律 第52号 (1999) — 1999年制定、2004年・2014年改正
- 『風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律』 法律 第122号 (1948) — 通称「風営法」、累次改正
別名
- 表現の規制
- 性表現規制
- メディア規制
- censorship
- regulation of expression